.....司馬遼太郎氏は原作『坂の 上の雲』の映像化を終世断っていた.....”やはり書物にとどめておきたい”

NHKドラマ『坂の上の雲』を反面教師として

1.さりげない語りで刷り込まれていく歪んだ歴史観

   元外務省アメリカ局長の吉野文六さんは沖縄返還交渉の際、日米政府間で密約文書が交わされていたことを証言した。その折、吉野さんが語った「歴史を歪曲 することは国民にとってマイナス」という発言は、『坂の上の雲』のドラマ化にも相通じる格言と思われる。NHKが人気キャストの演技の合間に、 
 「『坂の上の雲』は国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語で す。」
という企画意図にそって、明治の時代を「少年の国」、「小さな国」と呼び、「国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組んだ」という ナレーションを公共の電波をとおしてお茶の間に流す危うさを軽視できない。
ま して、NHKが日清・日露戦争を日本国民が「国の存亡をかけて戦った戦争」だったとさりげなく、フィーリングに訴える形で視聴者の意識に刷り込み、侵略戦 争としての本質がぼかされる影響は甚大であろう。こうした意識が、「どの国も自国の権益をかけて争っていた時代だから、当時の日本だけをとらえてどうこう 批判してもはじまらない」という訳知りな人間を増やさないか、国民の間に「一国平和主義」批判を心情的に受け入れやすい土壌を醸成しないか大変気がかりで ある。
 「明るい明治」に関しては原作に次のような一節がある。
「維新後、日露戦争までという30余年は、文化史的にも 精神史のうえからでも、ながい日本歴史のなかでじつに特異である。これほど楽天的な時代はない。むろん、見方によってはそうではない。庶民は重税にあえ ぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代 はないであろう。しかし、被害意識でのみみることが庶民の歴史ではない。明治はよかったという。その時代に世を送った職人や農夫や教師などの多くが、そう いっていたのを私どもは少年のころにきいている。」(第8分冊、309〜310ページ)
このように、明治期の富国強兵策をこともなげに「国の近代化」といってしまうレトリック、主人公らが明るい希望を描いて「ひたむきに坂道を登っていった」 という内向きの心象に訴えるフレーズの陰に歴史の真相が埋没させられないか凝視していく必要がある。
む しろ、『坂の上の雲』のドラマ化を機にして、原作あるいは著作権に制約されたNHKドラマを反面教師として、日清・日露戦争の実態、明治期の日本の社会状 況を、司馬ファンも含め、私たち自身も学び直す機会にする能動的な取り組みが必要ではないかと思う。以下はその序論である。

2.明治の日本は「少年の国」だったのか?
こ れについては、高文館顧問の梅田正己さんが同社のHPに掲載された「若い市民のための新パンセ」の中で、<「少年の国」の虚構>と題して、近代日本最初の 武力行使である台湾出兵と、それに並行してすすめられた琉球処分を例に挙げて反証している。知られざる明治史の一こまとして貴重な論説である。若い市民の ための新パンセ http://www.koubunken.co.jp/Pense/2009/08.html

3.明治は明るい時代だったのか? 「暗い時 代」は被害者意識で曇った見方なのか?
こ れについては、井口和起氏が自著『日露戦争の時代』吉川弘文館、1998年、の中の<日露戦争と国民>の節で、戦費調達のために国民にのしかかった重税、 その一方で国債を消化しやすくするよう利子所得の重課は見送ったいきさつ、軍工廠で職工が徹夜作業を強いられ、東京砲兵工廠では1994年8月、1カ月間 で1万6000人の在職職工の3分の1以上が発病したり負傷したりした実態(『週刊平民新聞』の記事をもとにした大江志乃夫氏の推計の紹介)、招集を受け て出征する若者が残される子供の扶助を役所に願い出たものの断られたのを悲観して、自らの手で子供殺しをしたのち応招した事件、出征兵士の家族の生活を支 えるための援護事業、援護金支給の実態など、が生々しく記述している(134〜150ページ)。「明るい明治」論を反証する説得的な論説と思われた。(醍 醐 聰 稿)

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