.....司馬遼太郎氏は原作『坂の 上の雲』の映像化を終世断っていた.....”やはり書物にとどめておきたい”

「坂の上の雲」第一回を見て

 第一回を見て投稿者:tarokanja 投稿日:2009年11月30日(月)16時33分
(「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク)投稿用掲示板 より

1。ドラマとしては、原作を越えていない。説明ぽくて平板。原作のこの部分は、青春物語として大概の読者はひっぱっていかれる。司馬作品は、それ自身絵画的で、映像化しにくいと言われるが、そのジンクスにはまった感あり。
『もみの木は残った』などを手がけた、NHKプロジューサー・ディレクターであった故・吉田直哉氏もこの点から一貫して『雲』の映像化に否定的であったといわれる(牧俊太郎『司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか」・現代作家研究会『司馬遼太郎読本』など参照)。
2。その中で、ドラマの見せ場として、多少印象に残ったのは、
@子規の自由民権運動街宣と
A英国人無法者と真之が「博愛・・・」「弱きを助け・・・」など英国紳士の精神フレーズを発して「対決」する場面、そして
B英国から購入した最新鋭軍艦に真之が感動・驚喜する場面である。
しかし@は、こんごの子規の国家・戦争への対応やドラマ全体の流れ・展開にはまるでかかわりがない。子規が成長していく過程の若気の至り%Iエピソードに過ぎない。人間・子規を深める事にもつながらない。 
A は、英国紳士の精神と、条約改正のために当時の日本の指導層が国際ルールを守る優等生≠ナあろうとした、とする原作者の主張を結びつけ映像化したのであろう。ここは原作に書かれていない、朝鮮王宮占拠、国王拉致、旅順大量虐殺、閔妃殺害事件など重大な国際ルール違反をの例を示し、多くの歴史家が原作の問題点として指摘している。 
Bは、次回『青雲』で、真之は軍人志望へ転換・飛躍するが、その布石であり、暗示でもある。 総じて第1回は、プロローグ的で、駆け足的な展開であった。希望に満ちた「少年の国」を3人の主人公を通して描こうというのがこの回の主題であった。しかし、この「希望」は、日露戦争「勝利」と結びついているところに、このドラマの抜き差しならない宿命≠ェある。回を重ねるごとにその陥穽に落ち込んでゆかざるを得ない。
そこが、戦争を否定し、平和を求めるという視点もメッセ−ジも持つ、トルストイの『戦争と平和』や五味川純平『戦争と人間』『人間の条件』などとの違いである。 いまの時代に、「存亡かけて」戦った日露戦争の時代に「希望」を託し、ドラマ化に踏みきったNHKの時代錯誤が問われよう。

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