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ニューズレター ダウンロード 一覧
ニューズレター第23号を発行しました。
11/02/14
ニューズレター第23号を発行しました。http://ninsaka.atukan.com/NL/n23.pdf
PDFダウンロード
2月号は『大逆事件100年』の特集を組みました。NHKを監視・激励する視聴者コミュニティが ”『坂の上の雲』放送を考える”時、なぜ『大逆事件100年』かについては、3ページの中島
晃 弁護士の寄稿 "特集『大逆事件100年』に寄せて『坂の上の雲』と大逆事件”をごらんください。
目次 特集: 『大逆事件100年』 |
1頁: NHK新会長選出の混乱, 小丸委員長辞任, 松本新会長の見識は? 会長選考と経営委員選考のあるべき姿の議論を!
2頁: NHK経営委員長代行の底なしの無定見 3頁: 特集『大逆事件100年』に寄せて『坂の上の雲』と大逆事件 弁護士 中島 晃
4~5頁: 「大逆事件百年後の意味」を考える院内集会 6頁: 女性革命家の姿 知って 管野須賀子 死後100年、実像の研究進む
7頁:「坂の上の雲」ではない、もう一つの明治があった 8頁: 院内集会 リレートーク から 9~10頁: 大逆事件 幸徳秋水刑死100年 墓前祭(高知・四万十市)
11頁:「埋もれた声―大逆事件から100年」をみて 12頁: マッターホルン直下で氷河滑走!
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<全国シンポジウム> 松山から「坂の上の雲」を問う 11/13~14
大韓帝国強制併合100年 愛媛大学学生祭行事 10/09/23
松山から「坂の上の雲」を問う
昨年、NHKドラマ『坂の上の雲』の第1部が放送され、今年と来年には第2部・第3部が放送されます。大々的な宣伝をはじめ、非常にセンセーショナルな放送のしかたに、違和感や不安や、危惧を抱いている方もおられるかと思います。
また、原作である司馬遼太郎の『坂の上の雲』についても、その歴史認識や朝鮮・中国・ロシアの描き方について、疑問の声があります
<シンポジウム>では、これら『坂の上の雲』の抱える問題に対して、多角的に光をあてていきたいと考えています。
2010年11月13日(土)13:30~16:30
愛媛大学 城北地区<グリーンホール>松山市文京町3番 詳細はこちら
入場無料 資料代(一般)¥1000円
プログラム 詳細はこちらPDF
■ 学生代表挨拶・・・「韓国併合」100年に思うこと
■ シンポジウム
安川 寿之輔 さん・・『明るくない明治こそが「暗い昭和」につながった
-「坂の上の雲」と福沢諭吉-』
醍醐 聰 さん・・『日本は朝鮮の独立のために日清戦争を戦ったのか
-伊藤博文はよりましな帝国主義者だったか-』
井口 和起 さん・・『日露戦争は祖国防衛戦争だったか-歴史研究者の立場から-』
高井 弘之 さん・『司馬は明治日本像をどうやってつくったかーその「からくり」』
■ 報告・・・松山市・「『坂の上の雲』のまちづくり」 (武井 多佳子 さん)
13日(土)夜 全国交流会
14日(日)午前 全国相談会
午後 フィールドワーク「坂の上の雲ミュージアム」の見学など
<全国シンポジウム> 松山から「坂の上の雲」を問う実行委員会
学生代表/法文学部三回生・的場竜一 共同代表/西原一宇
お問合せ/090-9736-6368(愛大生・的場) 090-2781-7055(一般・山中)
Eメール/sakakumo_wotou@yahoo.co.jp
チラシPDF パネリストプロフィール・地図
全国シンポのお誘いとカンパのお願い.pdf
参加申込書.pdf
参加申込み締め切り;10月31日
(道後友輪荘への宿泊を希望される方は、10月20日締め切り)
テキストHTML版
・ニューズレター第21号を発行しました。
ニューズレター第21号を発行しました。→ PDFダウンロード
目次 |
1頁: ・「アナログ放送終了予定日」まであと250日余り
・地デジ難民作るな!アナログ停波1年前集会 in 京都
・「地上デジタル放送完全移行の延期と現行アナログ放送停止の延期を」 求める提言 2頁: 地デジ完全移行/現行アナログ放送停止の延期を求める「10の根拠」
3頁: 虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ (安川寿之輔名誉教授) 4頁: 敵から見たら (佐高 信)
5頁: ・論争 議論は理性的に (雁屋 哲)
・福澤論吉はアジア侵略の先導者であり差別蔑視者であったのか
・<全国シンポジウム> へのお誘い 松山から「坂の上の雲」を問う
6頁: BBC放送と英国視聴者運動から見るー 放送の「政府からの独立」と独立放送委員会とは
7-8頁: 韓国併合100年をめぐる両国若者の討論番組を視て( 醍醐聰)
24 |
10/10/13
・11・20文化財返還問題・日韓共同シンポジウム 11月 20日(土)
―韓国・朝鮮文化財返還問題を関係者とともに考える―ご案内と協力の呼びかけ
「併合 100年」の今年8月に日本政府は、かねてより強く返還を求められてきた「朝鮮王室儀軌」等の返還を発表しました。韓国側が返還を求めている文化財は、「朝鮮王室儀軌」に留まらず、大倉集古館にある利川五重塔をはじめ、国立博物館や全国の大学や博物館・美術館所蔵の文化財や図書・資料にも今後及ぶものと思われます。
そこで文化財返還問題についての経緯を確認するとともに今後の課題を明らかにするために、日韓の関係者による共同のシンポジウムを下記のとおり開催します。日韓の若い世代にも正確な情報を提供し、未来に向けて真の友好を促す交流の場となるよう希望します。ふるってご参加・ご協力いただけますよう呼びかけます。
■日時:2010年11月 20日(土)13時半~17時 (13時開場 )
■会場:韓国 YMCAアジア青少年センタースペース Yホール
千代田区猿楽町 2-5-5.03-3233-0611 (*地図裏面・地下1F)JR水道橋駅徒歩 6分、御茶ノ水駅徒歩 9分、地下鉄神保町駅徒歩 7分
■予定:13:30開会
<第 1部>報告
Ⅰ「朝鮮王室儀軌」返還運動の経緯と課題 朝鮮王室儀軌還収委員会
Ⅱ「利川五重塔」返還運動の経緯と課題 利川五重塔還収委員会
Ⅲ流出文化財調査の現状と課題韓国政府文化財庁<交渉中>
Ⅳ日本側の対応と問題点<報告者交渉中>
<第2部>日韓国会議員による意見交換日韓国会議員<交渉中>
<第3部>解決に向けての討論・提起
■参加費:1,000円(学生 500円)*同時通訳・資料付
■主催(共催):(韓国側)利川五重塔還収委員会、朝鮮王室儀軌還収委員会
(日本側)韓国・朝鮮文化財を考える連絡会議、
■運営:「文化財返還問題・日韓共同シンポジウム」実行委員会<構成団体・協賛団体募集中!>
■連絡先:.03-3237-0217 080-5079-5461 Fax03-3237-0287 E-mail:cfrtyo@aol.com
*シンポジウムの準備・運営や韓国側参加者のお世話を手伝って下さるボランティアを募集しています。実行委員会事務局までご連絡下さい (E-mail:cfrtyo@aol.com)。市民による手づくりのシンポジウムです。
会場案内 (地図)こちらのPDFで
http://www.peace-forum.com/houkoku/20101120chirashi.pdf
*協賛カンパも募集中!(個人1口 2,000円団体・グループ1口 3,000円<なるべく複数口を>)
⇒郵便振替口座: 00140-9-607811「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」
⇒銀行振込口座:ゆうちょ銀行(店番) 018普通預金(口座番号)3379125 同
<ご案内>
■高麗博物館企画展「失われた朝鮮文化遺産」開催中(~11/14)。連続ビデオ上映会も
高麗博物館(新宿区大久保 1-12-1第二韓国広場ビル7階 12:00-17:00月・火休み、入館料 400円、Tel03-5272-3510、www.40net.jp/~kourai/)。ビデオ上映会の予定以下のとおり:
●10月9日 (土)15:00~18:00「韓流の元祖・百済」・歴史追跡「最大の高麗仏画、水月観音図の特別な帰還」
●11月6日 (土)15:00~18:00「全州特別企画 :百済王族の痕跡を訪ねて」・「93年ぶりの帰還・朝鮮王朝実録」解説・コメント:李洋秀さん(上映ビデオは毎回 2本ずつ、日本語字幕付 )
定員: 50名参加費: 500円(資料代)協力:韓国・朝鮮文化財返還問題を考える連絡会議
10/10/08
平和フォーラムメールマガジン
http://www.mag2.com/m/0000229918.html
<検証>NHKドラマ『坂の上の雲』・・・「明治」賛美のリスク大きい
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=3944&corner=2
民団新聞から
・・・・横河電機や横河ブリッジホールディングスなどの企業グループの創業者で、耐震建築を生むなど日本の近代建築の先駆者として今も輝く横河民輔(1864~1945年)は、自著『是の如く信ず』のなかで、「日清日露の戦争がなければ我々は数倍も豊かになっていた」と言ってはばからない。
そこで横河は、日清・日露戦争に費やした財貨を自分に任せれば、侵略する必要も侵略される恐れもない豊かな国にして見せたと断言する。さらに、武威こそ国家発展の基本と錯覚した当時の指導層は、「尚武」とは似て非なる「弄武」、軍事力をもてあそんだに過ぎないと指弾する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治期を賛美する立場からも、日露戦争後に国力が急速に増進した実態と明治憲法が大きく乖離したにもかかわらず、君主によって制定され、国民に与えられた欽定憲法を修正できないまま、指導層の暴走を許したことが見て取れよう。「栄光の明治」は、国民意識の改革と指導層の育成に明らかに失敗した。 「尚武」ならぬ「弄武」の気風がそうさせたのである。
全部読む
10/09/28
<読書>坂の上に雲はあったか 歪んだ「この国のかたち」
安川寿之輔さん大いに語る 福沢諭吉にレッドカード
歴教協ホームページに
歴教協第62回全国大会の報告が載っていますが
その中から
”講 演:「韓国併合・大逆事件」100年と「坂の上の雲」
安川寿之輔さん大いに語る 福沢諭吉にレッドカード”
の部分はこちらをご覧ください。→ 10/09/22
「韓国併合」を考える/伊藤博文は「平和主義者」?
中塚 明 奈良女子大学名誉教授
1910年、日本は軍事力を背景に「韓国併合」を実現しました。「韓国併合」から100年を迎えた日本で、日本人ならだれでも知っている伊藤博文を「平和主義者」と美化する意見がマスコミをにぎわしています。そんな主張が出てくる理由と問題点について、日本近代史を研究している奈良女子大学名誉教授の中塚明氏に聞きました。
続きを読む どこへ行く、日本。
☆D*N*A☆~ Diary Note de Arekore ~ 10/09/17
日韓市民社会フォーラム2010 10/2~3;Forumアジアとの歴史和解と.9/19
「東アジアの平和と日韓市民社会の役割~これまでの100年、これからの100年~」
日程:2010年10月2日(土)~3日(日)
場所:全体会(10/3) 法政大学 市ケ谷キャンパス スカイホール
詳細は http://www.citizens-i.org/jkcsf10.html
2010年は、1910年の日韓併合から100年という節目の年です。足掛け9年にわたる様々な社会問題に取り組む日韓市民社会相互の交流では、北東アジアの平和に向けた私たち市民の役割について議論してきました。そして、地域に「市民の政府」をどうつくるのか、お互いの歴史認識をどう共有するのか、自立した個人からなる社会をどうつくるのか、などについて意見を交換する中で、日韓それぞれの市民社会の差異を認識する一方で、とりわけ地域や生活レベルの活動と課題の類似性・同一性、そして交流の意義を実感することができました。
100年前の日韓併合は、国と国との条約という形式をとって行われましたが、今回のフォーラムでは、日本に暮らす市民と韓国に暮らす市民がともに協力し合い、これからの100年を平和な東アジアとするために何ができるのかを議論したいと思います。そして①地域づくり、②市民自治と議会、③国際協力と北東アジアの平和と人権という3つのテーマ分科会を設け、個々の課題についての新しいネットワークの構築や地域レベルでの取り組みの共有化・交流の促進、そして新しい市民社会の担い手づくりも行っていきます。ぜひご参加ください。
主催:〈日〉日韓市民社会フォーラム実行委員会・〈韓〉アジア市民社会運動研究院
共催:法政大学ボアソナード記念現代法研究所
日 程:分科会 2010年10月2日(土)
全体会 10月3日(日)
場 所:分科会(横浜市青葉区、新宿区、日比谷公園など)
全体会 法政大学 市谷キャンパス スカイホール
参加費:一般 2,000円/議員 6,000円/学生 1,000円
懇親会(10/2夜@YMCAアジア青少年センター) 5,000円
申込先:日韓市民社会フォーラム実行委員会 事務局
E-mail jkcsf@citizens-i.org TEL 03-3234-3844 FAX 03-3263-9463
〒102-0083 東京都千代田区麹町2-7-3-2F 市民立法機構 気付
★参加申込みはこちら jkcsf@citizens-i.org <jkcsf@citizens-i.org> 10/09/17
──────────────────────────────────────
○フォーラム: アジアとの歴史和解と平和共同体の実現をめざして
http://www.ne.jp/asahi/tawara/goma/2003.10.31/1.html
■日 時 9月19日(日) 開場13:00 13:30~17:00
パネリスト
辻井 喬(作家・詩人、日本中国文化交流協会理事長、日本芸術院会員)
東郷 和彦(駐ロシア公使・条約局長・欧亜局長・駐オランダ特命全権大使などを歴任、京都産業大学教授)
コーディネーター
小森 陽一(東京大学大学院教授)
会 場 明治大学駿河台キャンパス・リバティータワー2階1022教室
(御茶ノ水駅下車徒歩5分)
資料代 1000円(学生500円)
主 催 アジアとの歴史和解をめざす会(準備会)
(参加には電話で確認要)連絡先:03―3354-2555(ピープルズ法律事務所・南)
中塚 明 名誉教授 講演予定
〇9月18日 14時~16時 平和のための戦争展in北九州 門司生涯学習センター
「韓国併合」100年と近代日本の戦争を考える
http://ncf.way-nifty.com/ken/2010/09/in-201091820-02.html
〇9月23日(祝)13時30分~16時30分 名古屋 国民保護法制を考える会
伏見ライフプラザ(名古屋、地下鉄 伏見駅 6番出口 直進5分 中消防署ビル)
韓国併合100年のいま なぜ放送を・・『坂の上の雲』の歴史認識を問う
〇9月26日(日)13時30分~約2時間 定住外国人の人権を考える市川・浦安の会
JR市川駅北口下車 徒歩3分 山崎製パン構成年金基金会館
「司馬遼太郎の歴史観・朝鮮」
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=3903&corner=2
〇11月13日(土)13:30~16:00 主催神戸YWCA現代史勉強会「いもづる」 「韓国併合」100年とNHK「坂の上の雲」 於 神戸YWCA本館
1,000円(若もの500円)
http://www.ac.auone-net.jp/~imozuru/
http://www.kobe.ywca.or.jp/eventlist/eventlist_top.htm
〇11月25日 奈良 国民学校一年生の会総会 詳細未定
〇11月27日 堅田憲法9条の会主催 滋賀県大津堅田 於 日本キリスト教堅田教会 14時から 「坂の上の雲」の歴史認識を問う
安川寿之輔+雁屋哲 「ほくと未来ネットワーク」
「ほくと未来ネットワーク」より転載
安川寿之輔さんがYouTubeの講演の中で触れている,講演会の詳細をお知らせします。http://www.youtube.com/watch?v=l2fqwcyLpyg
「現代史を考える会」
9月18日(土)午後1時開会 (受付開始12時半)
調布市文化会館たづくり(京王線調布駅南口から徒歩3分) 8F映像センター
資料代 1000円
テーマ1 「女子若年定年制」
午後1時〜2時20分
テーマ2「日韓併合と福沢諭吉〜坂の上の雲は明るい明治か〜」
2時30分〜4時 安川寿之輔
テーマ3「日本国民にとっての朝鮮問題」
4時10分〜5時30分 岩本正光
*雁屋哲さんがフロアーから発言するそうです。それだけではもったいない。せっかくの機会ですから(オーストラリア在住)雁屋さんとの交流会を、館内のCAFEで持つことになったそうです。時間は4時10分頃から30分から1時間で参加費は各自の飲み物などのオーダーのみということです。
*少し楽屋裏話的なことです。週刊金曜日に安川さんのインタビューが載りましたが、「金曜日」の編集委員である佐高信さんが(もともと福沢諭吉信奉者)怒って次号に反論を載せることになったようです。それに対して,今度は雁屋哲さんが「オレが反論する」と張り切っているというこことも聞きました。ちょっと楽しみ?です。
「金曜日」のインタビュー記事は以下にあります。つづき
──────────────────────────────────────
続編1
一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ より転載
安川寿之輔氏対佐高信氏、全面対決か!安川氏側助っ人には雁屋哲氏も。
テーマ:週刊金曜日
すげぇ、これマジっすか。いつも左側からの攻撃はスルーする佐高信さんなのですが。
佐高信さんの「福沢諭吉伝説」を真っ向から否定する安川寿之輔名古屋大学名誉教授の「虚構の『福沢諭吉』論を撃つ」 が佐高さんが社長兼編集委員を勤める週刊金曜日に掲載されてから2週間近く経とうとしていますが、ついに佐高さんも決起したようです。
今回ばかりは福沢が「法螺を福沢、嘘を諭吉」そして佐高さん自身の著書「福沢諭吉伝説」も「丸山諭吉」論と痛罵され、また自身は「『脱亜論』を覆した。これは論議を呼ぶかもしれない。」と豪語されていたから逃げるわけにも行かなくなったわけですね。
でも平山洋さん、坂野潤治さん、岳真也さんの小説などに準拠しているわけだから、一次資料のテキストを読み込んでいる安川教授にどうやって対抗していくのだろう。そして助っ人として「美味しんぼ」「日本人と天皇」の雁屋哲さんも出馬してくるようです。ファンとしては心配なところですね。
これは最終的には平山さんを呼んでくるしかないのでしょうか。 10/09/10
──────────────────────────────────────
続編2
「安川寿之輔批判『敵から見たら』」を批判する
佐高信さんが週刊金曜日で「虚偽の福沢諭吉論を撃つ」に反論すると言う話を聞いていました。私は本格論文を期待していたのにまさか、「風速計」でお茶を濁されるとは思いもよらなかったです。安川教授も脱力しているか、苦笑いしているかでしょう。おそらくは雁屋哲さんが再反論されるでしょうし、その時佐高信さんは蜂の巣にされることはもう目に見えて明らかです。
見るに偲びませんので、佐高ファンの視点でこの「敵から見たら」を語って、解釈いや佐高さんの自爆ぶりを介錯してみようではありませんか。続きを読む
「1万円札から福沢諭吉の引退を勧告する」安川寿之輔講演
8/28の安川寿之輔さんの小淵沢での講演の動画をご覧下さい。
長いのですが順次アップして、完了しました。
緻密なレジュメを基にしたお話ですが、このレジュメがないと分かりにくいかも知れません。ご希望の方には送料込み300円でお分けしています。メールでお知らせ下さい。
つづきをよむ 10/09/05 「ほくと未来ネットワーク」
侵略清算こそ共感の道 「韓国併合」100年 川崎で学習会
100年前に「韓国併合条約」が「公布」された29日、「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」は、川崎市教育文化会館で「『韓国併合』100年を振り返り、21世紀の日本のあるべき姿をさぐるために」と題した学習会を開催し、約100人が参加しました。
(写真)韓国の新聞を紹介しながら報告する大図建吾氏=29日、川崎市内
歴史教育者協議会の大図建吾氏が問題提起の報告に立ち、多くの韓国人が「日本国は嫌いだが、日本人は好き」との複雑な思いを抱いていることを世論調査などから紹介。「植民地支配とアジア侵略の歴史を完全に清算してこそ、日本の憲法9条や核兵器廃絶、米軍基地撤去の運動にアジアの共感が得られる」と語りました。
続いて、横浜教科書採択連絡会の芝崎文仁氏が、横浜市の「自由社」教科書採択について、川崎市ふれあい館館長の三浦知人氏が、地域の民族差別の歴史から学ぶ活動について、元川崎市議の宮崎光雄氏が、「併合」にいたる「前史」についてそれぞれ発言。討論がかわされました。
参加者は、植民地支配期の歴史資料の収集公開、「慰安婦」「強制連行」被害者などへの謝罪と補償、日朝平壌宣言の実行などを求めるアピールを採択しました。
2010年8月30日(月)「しんぶん赤旗」
──────────────────────────────────────
「韓国併合」100年 日本は植民地支配で何をやったか
「韓国併合」100年、植民地支配が崩壊して65年もたつのに、日本ではいまだに「鉄道建設や教育の普及など近代化に果たした役割は大きい」とか「創氏改名は強制ではなかった」などと、一部政治家や特定のメディアが韓国併合や植民地支配を美化する主張をことさらに吹聴しています。
(写真)韓国併合条約を公布する1910年8月29日付の明治天皇の詔書
併合100年を機に始まろうとしている日韓友好の新たな発展の動きを確実にするためには、在日大韓民国民団主催の8・15光復節中央記念式典のあいさつで日本共産党の志位和夫委員長が語ったように、日本が韓国・朝鮮にたいし何をしたのか、植民地36年の実態について「両国の共通の歴史認識とすること」が不可欠です。
「任意」装った
明治政府が「韓国併合」の具体的方針を決定したのは1909年7月6日の閣議です。「適当ノ時期ニ併合ヲ断行スル」とした大方針にそって、1年後にその日を迎えました。この間、政府は日本軍の韓国駐留、多数の憲兵・警察官の韓国増派、韓国鉄道の掌握、日本人多数の韓国移住などの準備計画をすすめ併合断行に備えました。
韓国併合条約の調印は1910年8月22日です。全8条からなる条約の第1条は、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲與ス」。韓国の皇帝が日本の天皇に併合を申し出て、日本の天皇がこれを受け入れたという「任意の併合」を装ったものでした。
同条約を公布したのは1週間後の同月29日です。発表を抑えていた間に、政治団体の解散、政治集会や演説会の禁止、批判的な新聞の廃刊などを強行し、韓国民の口を封じ手足を縛りました。
また、朝鮮各地からソウルに移動・集中させた日本軍を、各城門、王宮、統監邸、閣員邸など要衝に配備。憲兵が定期的に街中を巡回する厳戒態勢を敷き、反対行動を力ずくで抑えこむなかで韓国・朝鮮の独立を奪ったのです。
寺内正毅朝鮮総督は桂太郎首相への報告書の中で、ソウルへの部隊移動は6月中旬から始め7月9日に完了したこと、配備した部隊は歩兵15個中隊、騎兵1連隊、砲兵1中隊にも及んだことを明らかにしています。
徹底的に弾圧
「併合」にあたって明治天皇は詔書を発し「民衆ノ福利ヲ増進」「其ノ康福ヲ増進スベク」と韓国民にとって至れり尽くせりのことであるかのように描きました。しかし、軍隊による厳重監視の下、クーデターのように強行したのが「併合」の実態であり、その野蛮さは36年間にわたる過酷な植民地支配にくっきりあらわれました。
―なによりも、「朝鮮の独立」や「民族自決」を求める朝鮮民族の運動を徹底的に弾圧したことです。併合から9年後の1919年3月、朝鮮全土に広がった「三・一独立運動」では、日本軍・警察による凶暴な弾圧で、死者7600人、投獄者5万人にのぼる犠牲者を出しました。
―「産米増殖計画」のもと朝鮮産米を毎年大量に移送し日本国内の米不足対策にあてるなど、朝鮮半島を食糧・資源の供給基地としました。とくに、31年の満州事変後は、朝鮮半島を足場に中国奥深くへと拡大する侵略戦争への兵たん基地化の推進でした。
朝鮮総督府が44年に発行した冊子『前進する朝鮮』は、「今日朝鮮の果すべき大陸に対する兵站基地的使命」「征戦日本の輿望(よぼう)に応えるべく、朝鮮はその兵站基地的適性に於(おい)ても完璧(かんぺき)の態様を整備」すると明記しています。
戦争に物質的・人的動員をする兵たん基地化は、「皇民化運動」という精神動員運動と表裏一体で推進されました。「皇民化」の名で朝鮮民族に押しつけたことは、朝鮮語の追放・日本語の常用化、神社参拝の強要、朝鮮式の名前を奪った「創氏改名」でした。
これをテコに、工場・鉱山などへの労務動員・強制連行とともに兵力動員が強化され、38年からの特別志願兵制度が44年には徴兵制実施へとすすみ、日本の侵略戦争に朝鮮人を総動員しました。
美化する勢力
1945年8月15日、日本政府が受諾したポツダム宣言は、第8条で「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク」と日本に迫りました。そのカイロ宣言は「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ朝鮮ヲ自由独立ノモノニスル」と明記し、日本の植民地支配で朝鮮民族が奴隷状態を強いられたことを明確に認めました。
植民地の解放・朝鮮の独立は、日本の戦後世界への出発点です。いまだに、韓国皇帝の申し出による「任意的併合」だったとか、朝鮮半島の近代化に役だった、などと言って植民地支配を美化する勢力は、歴史に断罪された流れにくみするものにほかなりません。(近藤正男)
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「韓国廃滅」を意味する言葉
1910年の「韓国併合」当時、外務省政務局長として対韓政策の原案を作成した倉知鉄吉(元外務次官)は、「併合」という新語を用いたわけを後に覚書に次のように記しています。
「併合」の意味がよくわからず、両国が対等で一つになるとか、オーストリア・ハンガリー帝国のような連邦国家ができるかのように解する人もいた。自分が「併合」という造語を使ったのは、「韓国が全然廃滅に帰して帝国の領土の一部となるの意を明かす」ためであり、同時に「其語調の余り過激ならざる文字」として選んだものだった。
植民地支配 土地・米から命まで
1910年代は土地調査事業による「土地よこせ」、20年代は産米増殖計画による「米よこせ」、30年代は皇民化政策による「人よこせ」、40年代は徴用、徴兵による「命よこせ」―。(在日大韓民国民団作成の歴史教科書『在日コリアンの歴史』から)
併合時首都警備が最も緊要
政変に際し京城警備は最も緊要にして極めて周密なる手配を要する…
首都に於ける応急準備の為六月中旬より軍隊配備の異動を行ひ七月九日を以て全部を完了せり…京城付近に於て時局に際し急に応する為該地付近に歩兵十五箇中隊騎兵一聯隊砲兵一中隊を集結す(1910年11月「朝鮮総督報告韓国併合始末」から)
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「韓国併合」100年 過ち繰り返さない未来を 韓国各地で集会、行進 「慰安婦」解決など日本に要求
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日本による「併合条約」発効から100年を迎えた29日、韓国各地でさまざまな行事が催されました。国を奪われた歴史を教訓として、過ちを繰り返さない未来を準備することが主な趣旨です。
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独立運動家やその遺族でつくる光復会と独立有功者遺族会は、ソウル中心部で「強制併呑(へいどん)、その100年の記憶、100年の未来」をテーマに集会を開催しました。会場のタプコル公園は、1919年の三・一独立運動が始まった場所です。集会には独立運動関係者や市民、学生ら約1000人が参加しました。
集会で発表された決議は、「100年前のこの日を記憶し、再びこうした過ちが繰り返されないよう、新たな100年の未来をつくる決意」を表明。日本政府に対し、(1)「韓国併合条約」締結が不法、無効だったことを認める(2)植民地支配の被害に対する国家責任を果たす(3)南北統一問題の解決に積極的に協力する―ことなどを求めました。
日韓両国の市民団体が参加する「強制併合100年共同行動実行委員会」は、ソウル市内で集会を開き、強制連行や徴用被害者、「慰安婦」などの解決を日本政府に要求。太平洋戦争犠牲者遺族会なども、日本大使館前で被害者への補償を求める集会を開きました。
このほか、釜山、光州など地方都市でも、平和行進や集会などが行われました。
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日本が朝鮮半島を植民地支配下に置いた「韓国併合ニ関スル条約」の発効から29日で100年。韓国では「国恥日」と呼ばれます。メディアや歴史研究者の間では、未来に向けた日韓協力関係を築くために歴史から何を教訓とすべきかについて、論議が活発です。(面川誠)
日刊紙・東亜日報は28日付の社説で、「日本は速やかに当初から無効だったことを認めるべきだ」として、「慰安婦」、徴用被害者などの問題解決に誠実に取り組まなければ、「未来志向の韓日関係は定着しない」と強調します。
李朝末期の大韓帝国内部の権力争いに付け込まれて植民地に転落したことを振り返り、「朝鮮半島をめぐる大国の利害の争いは、いまも繰り返されている。国際情勢に対する賢明な判断が、1世紀前にも増して強く求められている」と主張しました。
日刊紙・ハンギョレの同日付社説は、「両国の市民交流をいっそう広げて多様化させるべきだ。政府レベルの交渉で歴史問題を円満に解決することは期待しがたい」と指摘。今後は、「市民の交流を観光や大衆文化にとどまらず、共生、和解、平和などの分野に拡大することが大事だ」と提案しています。 10/08/30
西大門刑務所歴史館で特別展 「日本の若者来館 展望感じる」
(写真)西大門刑務所歴史館で開かれている特別展(面川誠撮影)
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独立運動家が多く投獄された監獄を保存している西大門刑務所歴史館は、「巨大な監獄、植民地を生きる」と題した特別展を開催中です。 10/08/29
朴慶穆(パク・キョンモク)館長は、「併合に至った過程を検証すると、日本と韓国にはそれぞれの責任がある」と指摘。「しかし、『併合』条約を不法に強制した日本側が大きな責任を持っていることは自覚してほしい。平和構築と地域協力で手を結べる日韓関係をつくるためには、何よりも日本側が真剣に歴史の教訓をくみ取ることが必要だ」と強調します。
歴史館の展示企画に参加した民族問題研究所の金丞垠(キム・スンウン)研究員は、「この歴史館を訪れる外国人の約6割は日本人で、若い人が目立ちます。多くの日本人が歴史と向き合おうとしていることに、未来への展望を感じる」と語りました。
韓日キリスト教会が共同声明、歴史清算訴え
【ソウル13日聯合ニュース】
韓国キリスト教教会協議会と日本キリスト教協議会が13日、韓日併合条約の無効化と日本政府の賠償、朝鮮半島分断克服と平和統一に向けた努力を両国政府に促す内容を盛り込んだ「韓日強制併合100年 韓国・日本教会共同声明」を発表した。
両協議会はソウル・西大門刑務所歴史館で記者会見を開催。歴史問題の清算と和解、平和を訴えた。
韓国併合100年をめぐる両国若者の討論番組を視て: 醍醐聰のブログ
意見の開き以前の歴史への知見の格差
昨日は百年前に韓国併合条約が締結された日である。NHKは8月14日に「日本の、これから ともに語ろう日韓の未来」と題して、日韓の若者がスタジオで討論する番組を放送した(8月7日録画)。そのなかで、出演した日本のある若者が韓国併合について、「韓国と日本は、同じ大日本帝国の一員として、一緒に英米と戦った戦友だ。」「韓国併合のときは、韓国人を虐殺したわけではなく、帝国主義の時代でやむを得ずにやっただけだ」と発言した。これに対し、番組に出演していた崔洋一映画監督は、そうしたイデオロギーが当時の日本を支配していたことを認めながらも、そのために韓国併合があったというのはとんでもない史観だと指摘し、「36年間にわたる植民地支配がそれによって肯定されるという考え方では、基本的に歴史を語る資格がない」と批判した。放送後、この崔発言をめぐってネット上で「言論封殺だ」という反響が起こっているのを知った。しかし、当の若者がネット上の掲示版に書き込んだ記事によると、放送ではカットされたものの、別の日本の若者から、「日本と韓国は過去に恋人関係にあり、日本が浮気したから韓国が怒っている」という発言もあったそうだ。上の崔監督の発言はこうした若者の発言を受けて出たそうである。
もっとも、番組全体を視た限りでは、上の2人の発言は番組に出演した日本の若者の韓国併合に関する歴史認識の中ではごく少数意見と思われた。事実、他の日本人からは、「当時としては止むを得ずやったというのなら、やむを得ず原爆を投下したという言い分に反論できなのではないか」という発言があった。
しかし、それでも私は、出演した日韓の若者の歴史に関する知見の落差を見せつけられた思いがした。多くの韓国人は、「日本の若者は〔歴史を〕知らなさすぎる」、「過ちを犯したなら、お金ではなく、先ず謝ることだ。」「そんなことがあったの、と言われると頭にくる。日本が同じ目に会ったらどう思うのか」と発言していた。
他方、日本の若者はというと、①「国と国の関係を待っているのではなく、ネガティブな方へ持っていくのではなく、個人のレベルでどうすべきかを考える方がよい」、「お互いに良いところを認め合っていけばよいのではないか」といった、あたりさわりのない一般論か、②「日本はもう十分謝罪したと思う。これ以上謝罪しても韓国人の反日は多分変わらないと思う」、③「謝罪というが、謝罪だけで済む問題ではなく、外交や補償の問題につながっていくから、難しい点がある」といった日本の歴代の保守派政治家の発言のコピーのような発言が目立った。
日本の謝罪をめぐる日韓の若者の認識の落差
②の「もう十分謝罪した。これ以上何を求めるのか」という発言についていえば、出演した数人の韓国の若者から、「謝罪をしたあとで、それを覆すような発言が政治家から繰り返された。これでは心からの謝罪とはいえない」という反論があった。正論である(後掲注)。番組に出演した日本の若者がこの反論にどう応答するか見守ったが、結局、何も出なかった。
(注:日本の歴代政府・与党要人の発言)
*「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」(1995年8月15日、村山談話)
*「植民地時代に日本は韓国に良いこともした。・・・・日韓併合は強制的だったとする村山富一首相の発言は間違っている。日韓併合が無効だったと言い出せば,国際協定は成り立たない。当時は国が弱いとやられた時代だったんだから,やむを得ないことだ。」(1995年10月11日、江藤隆美・総務庁長官)
*「当時の日本には公娼制度があったから、従軍慰安婦といってもそれほど驚かない。公娼になった人はお金のために行った」(1997年1月24日、梶山静六・官房長官)
*「(従軍慰安婦問題を)教科書に載せるのは疑問だ。強制性があったかなかったはっきりしない」(1998年7月6日、中川昭一・農水相)
*「創氏改名は当時の朝鮮人が望んで始まった」(2003年5月31日、麻生太郎・自民党政調会長)
*「日本は明治維新ができ、近代化したが、中国や朝鮮半島は近代化できなかった。日本は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」(2010年3月27日、枝野幸男・民主党幹事長)
③の発言についていうと、謝罪するかどうかは謝罪を必要とする侵略行為、不当な植民地支配があったのかどうか(正当な植民地支配などもともとないが)という事実認識で決すべき問題である。この点でいえば、番組の中で岡本行夫氏(元首相補佐官)が日本の若者に向かって諭したように、1910年以降、日本は韓国人に名前、言葉、文化を捨てさせ、民族のアイデンティティを奪ったというのが厳然たる事実である。こうした事実認識をスキップして「謝ると金を要求されかねないから、不用意に謝るべきではない」という発言は、まずもって人間あるいは民族の尊厳の回復を求める韓国人の要求と誠実に向き合わず、それを金銭の要求の口実かのように先読みするのは野卑な発想と言わなければならない。
①の国と国の関係か、個人と個人の関係かについていえば、国家の責任と個人の責任を区別して議論しなければならないのは当然である。しかし、だからといって国家としての日本の戦後責任に日本人が個人として無関係であるわけではない。侵略・植民地支配責任を宣言した村山談話以降もそれに逆行するような発言を繰り返した日本の政治家を「選良」として選んだのは日本の有権者である。自らが選んだ政治家の言動を注視し、支持なり批判なりをしていくのは有権者の務めである。こうした有権者としての政治参加を抜きにして、民間ベース、個人ベースで国際交流に励めばよいというものではない。
今回の討論番組を視て私は、学校教育の場だけでなく自分の親や祖父母らから、日本軍が植民地統治時代の朝鮮で何をしたかを伝え聞いて育った韓国の若者(番組の中でも、祖母から従軍慰安婦のことを聞いた、祖父から日本軍に徴用されてフィリピンへ行かされたという話を聞いたと発言する韓国の若者がいた)と、学校教育の場で現代史を学ぶ機会をほとんど持たないばかりか、自分の親や祖父母らからも日本軍が植民地・朝鮮で何をしたかを伝え聞く機会をほとんど持たないまま育った日本の若者との歴史に関する知見の落差を見せつけられた思いがした。
諭す相手を間違えた准教授
とろろで、この番組に出演した京大准教授の小倉紀蔵氏は、「歴史にはどんな考え方もありうる。正さないといけないのは、間違った事実に基づいて自分の歴史観を構築したときだけだ」と発言し、「日本が帝国主義の時代に韓国を併合したのはやむを得なかった」と発言した日本の若者を批判した崔監督の発言を「言論封殺」と反論していた。確かに、「歴史を語る資格がない」という崔監督の発言は適切さを欠いていたと思えるが、その趣旨は、誤った事実認識を基に歴史観を語ることを諌めるということだったと思える。この点でいうと、前記の日本の若者の「韓国と日本は、同じ大日本帝国の一員として、一緒に英米と戦った戦友だ」という発言はまさに小倉氏が正さないといけないと述べた、「間違った事実に基づいて自分の歴史観を構築した」標本のようなものである。自分の発言に忠実であるなら、小倉氏はたしなめる相手を間違えたということになる。崔氏と小倉氏のやりとりの後、岡本行夫氏は日本の若者に向かって、上記のように、1910年以降、日本が韓国人に名前、言葉、文化を捨てさせ、民族のアイデンティティを奪ったという厳然たる事実を直視するよう諭していた。ローソン社長の新浪剛史氏も「謝罪したというにしては教育の場にそれが活かされていない。縄文式時代のことを教えるのもいいが、もっと現代史を教えるべきだ」と発言したのは卓見だった。それに比べ、「韓国人の世界観とは一体どういうものなのか。日本と朝鮮半島の関係はどうあるべきか。日本・中国・朝鮮の文化・文明的関係はどのようなものなのか。どのようにすればわれわれは「東アジア」を構築することができるか」を研究しているという小倉氏の的外れな発言がよけいに目についた。
希望を託したい日本の若者の発言
今回の討論番組に出演した数人の若者の発言が日本の若者の歴史認識の縮図だと速断するつもりはない。ただ、8月20日に日韓両国の学生約50人が参加して北杜市高根町で開かれた韓国併合100年をめぐる意見交換会(主催:早稲田大、高麗大)でも韓国の学生の発言が目立ち、「もう少し激しく意見をぶつけ合いたかった」(高麗大生代表の金承賢(キム・スン・ヒョン)という感想が聞かれたという。また、ある日本の女子学生は「日本は問題意識が低い。個人個人が考えを持つことが大事」と説明したとのこと。(asahi com 2010年8月23日)http://www.asahi.com/edu/news/TKY201008230232.html
それでも私はこの番組で出た日本の若者の次のような発言に希望を託したいと思う。と同時に、彼ら彼女らを現代史から遠ざけてきた日本の教育の責任、大人自身の歴史認識の貧困、天皇制や従軍慰安婦問題などを避けてきた臆病なメディアの体質、を正す社会の責任を痛感させられた。
「3年間、韓国で韓国の人といっしょに歴史を勉強したが、韓国人はみんな日本は謝罪をしたとは受け取っていないことを思い知らされた。さきほど、知ることと謝罪することという発言があったが、私はまず知ることだと思う。その上で謝罪する必要がないという人がいるなら、それでよいと思う。しかし、私は歴史を知って心が痛かった。そこから生まれる謝罪が本当の謝罪だと思う。」
「韓国の人と歴史のことで話をしようとしても太刀打ちできなかった。もっと勉強しようと思った。」10/08/23
和田春樹「『坂の上の雲』と朝鮮」を読んで 呼びかけ人 中島晃(弁護士)
「NHK問題京都連絡会ニュースNO.16」より転載
自由法曹団通信:1350号より
私が、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」を批判していることを聞きつけた知人が、私のもとに、「図書」(岩波書店)の6月号に掲載された和田春樹さんの「『坂の上の雲』と朝鮮」(以下、和田論文という)のコピーを送ってくれた。
和田論文は、司馬遼太郎が生前、「坂の上の雲」のテレビドラマ化を拒否し続けていたにもかかわらず、NHKがあえてこの作品のドラマ化に踏み切ったことに疑問を投げかけるとともに、ユニークな視点から、「坂の上の雲」を読み解く試みを行っている。
和田論文は、司馬が「坂の上の雲」を執筆していたとほぼ同じ時期に、薩摩焼の陶工沈寿官14代や詩人の西澤隆二と交流があったことを紹介して、「故郷忘じがたく候」、「ひとびとの跫音」などの司馬の作品について触れたうえで、「坂の上の雲」の世界の外側に立っているこれらの人々の目を意識したうえで、司馬がこの小説を書いたのではないかと述べている。興味深い指摘であり、成程と感心もさせられた。
司馬は、小説家として多面的な顔をもっており、作家の小田実や井上ひさしとの対談集(「天下大乱を生きる」、「国家・宗教・日本人」)を出版したり、憲法学者の樋口陽一氏との対談も行っている。司馬が生前、こうした人々とも交流があったことを評価し、そうした観点から、「坂の上の雲」を読み解くというのは、非常にユニークな視点である。
しかし、司馬がこうした人々と交流があったことと小説「坂の上の雲」の評価とは、切り離して議論すべきものであることはいうまでもない。和田論文は、さきに述べた視点から、小説「坂の上の雲」を読み解くという試みを行っているが、残念ながら、その試みは必ずしも成功しているとはいえない。
その理由は、和田論文が「坂の上の雲」に書かれていない事実を、それが書かれているとの間違った思い込みを前提としていることなど(後掲の手紙参照)、明らかに無理な議論をしているところにある。
こうしたことから、和田論文に違和感を覚えたので、これに対する感想を書いた手紙を、コピーを送ってくれが知人に送付したので、その手紙の内容を後に掲げて紹介しておきたい。
和田論文を読んで気になったことは、和田さんのような著名な歴史学者ですら、国民的作家とされている司馬の小説「坂の上の雲」を正面から批判することに、多少なりともためらいがあるのだろうかということである。そうだとすれば、それはかなり深刻な問題であるが、これが私の誤解であるなら幸いである。
こうしたことを考えると、「在特会」(「在日特権を許さない市民の会」)などに見られる排外主義的な行動が強まるなかで、日露戦争を祖国防衛戦争として正当化し、朝鮮民衆の苦しみを無視するという構造的な欠陥がある小説「坂の上の雲」を、いまNHKがスペシャルドラマとして映像化することがいかに危険であるかについて、声を大にして批判することが一層重要であり、そのことは、我々団員にとって、朝鮮民衆の友として、朝鮮の独立と人権擁護のためにたたかい抜いた団の大先輩である布施辰治の遺志をうけつぐ、非常に重要な課題であると考える。
〈知人宛の手紙〉
冠省 先日は、「図書」6月号に掲載された和田春樹さんの「『坂の上の雲』と朝鮮」のコピーをご恵送下さり、まことに有難うございます。
大変興味深く読ませていただきました。 …(中略)…
和田さんは、司馬が「坂の上の雲」を書き始めてまもなく、「故郷忘じがたく候」を発表していることに着目して、司馬の「坂の上の雲」の世界の外側に、沈寿官14代などが立っており、司馬はこの人物の眼を意識してこの作品を書いていたのではないかと指摘していますが、なるほどと感心させられました。
しかし、和田さんが「故郷忘じがたく候」を紹介するなら、冒頭に出てくる14代沈寿官が、鹿児島の中学校入学の当日に受けた、激しい朝鮮人蔑視と上級生によるリンチにふれる必要があったのではないかと思われますし、彼が韓国に招かれて、ソウル大学で講演した「あなた方が36年を言うなら、私は370年を言わねばならない」という発言を紹介している部分も、余程注意しないと、日本が韓国併合によって、朝鮮を植民地としたことの犯罪性を相対化し、うすめる危険をもっていることも、あわせて指摘しておく必要があると考えます。 …(中略)…
ところで、和田さんが、司馬の「坂の上の雲」について、「著者が自分ではやばやと幕を引いて、打切りを宣言したような小説となっている」と述べていることについては、はたしてそうなのかという疑問があります。
坂の上の青い空にかがやく、一朶の白い雲をみつめて、坂をのぼっていく明治の青春を描くという、この小説のテーマからいえば、そのクライマックスである日本海海戦の勝利でフィナーレを飾ることは、最初から予定されていたことであって、何も突然打切りを宣言したというものではないと思います。むしろ、その後に出てくる日比谷焼き打ち事件や韓国併合はもはや書く必要がないことであり、こうしたことをあえて書かなかったことに、この小説の意図-明るい明治を描くという意図-がはっきりと示されているのではないでしょうか。
もう一つ言いますと、和田さんは、作品は日本海海戦の勝利で断ち切られたように終わっているとした後に続けて、「連合艦隊の観閲式の日、秋山真之はそれに列席せず、子規の墓に参っている。」と書いています。
この部分を読んで、アレッと思って「坂の上の雲」を読み返してみました。「坂の上の雲」には、「連合艦隊が横浜沖で凱旋の観艦式をおこなったのは、10月23日である。その翌々日の朝、真之は暗いうちに家を出た。」という書き出しで、子規の墓に参ったことが書かれています。
「坂の上の雲」には、真之が連合艦隊の観閲式の日に、それに列席せずに、子規の墓を参ったなどということは、どこにも書かれておらず、この部分は和田さんの完全な「創作」(間違った思い込みか)ということになります。この小説が子規の墓参りで終わるのは、この小説の副主人公である子規が小説の前半で早々と姿を消し、後半では全く登場しないことから、最後に子規を登場させるために、真之による墓参りの情景をもってくるというのは、この小説の形を整えるうえで必要な作業であったのではないでしょうか。ですから、この部分もまた、この小説で、最初から予定されていたことではないかと思います。
「坂の上の雲」について、和田さんのように読むことは、なかなかユニークな視点だとは思いますが、子規の墓参りのことも含めて、事実を正確にふまえていないことなどからいって、非常に無理な議論を組み立てているように思えてなりません。
もっとも、「坂の上の雲」のテレビドラマ化は、第2部、第3部とますます難しくなるとの和田さんの指摘はそのとおりだろうと思います。しかし、それはテレビドラマ化の問題であるというにとどまらず、司馬の真意がどこにあるにせよ、小説「坂の上の雲」がかかえている欠陥が、テレビドラマ化によって一層拡大すると見るのが正確なのではないでしょうか。(以下、省略) 10/08/23
「韓国併合」100年と日本 中塚 明
非核の政府を求める奈良の会機関紙「非核奈良」2010年8月15日第92号掲載
「NHK問題京都連絡会ニュースNO.16」より転載
今年は日本が韓国をほろぼして植民地にした「韓国併合」から100年目です。この「韓国」というのは、一四世紀末から続いてきた朝鮮王朝が1897年、国の制度を王制から帝政に変え、国の名前を「大韓」と呼ぶようになった、その朝鮮半島全体を支配していた国を指しています。その韓国を日本の領土にしたのが「韓国併合」です。
「伊藤博文は『韓国併合』に反対だった」ってホント?
この節目の年に「伊藤博文は平和主義の人だった」、「伊藤は朝鮮人を自発的に近代化させようとしたのであって併合には反対だった」などの主張が、この日本で「流行」、ハヤリになっています。これホントでしょうか?
日本は日清戦争(1894~95年)、日露戦争(1904~05年)の二つの戦争で朝鮮を独占的に支配するようになりました。伊藤博文は日清戦争のときの日本の内閣総理大臣です。そして日露戦争直後に、朝鮮から外交権を奪う先頭に立ち、ついで「韓国統監」として、朝鮮の植民地支配のお膳立てをした政治家です。
韓国の「独立国の実態」と奪う先頭に立った伊藤博文
韓国は日本政府を代表する伊藤博文によって「外国との交渉ごとをいっさい日本に握られてしまった」のです(1905年の「第二次日韓協約」)。その韓国を支配するために伊藤は初代の「韓国統監」としてソウルに乗り込みました。そしてさらに「行政、司法、警察をにぎり、軍隊を解散させ」ました(1907年「第三次日韓協約」)。伊藤は日本を代表して韓国をねじ伏せ、グウの音も出せないようにしたのです。
歴史をもてあそぶ「大学のセンセ、TV・新聞」
こうしておいて「併合して支配するとお金がかかる、朝鮮人にも「自治権」を与え、朝鮮人との対話を続けていくことが大事だ、と伊藤博文は考えていた。しかし、朝鮮人が伊藤のこういう方針に反対したので、心ならずも併合に賛成しただけだ」と京都大学の某センセは「伊藤博文は併合論者ではない」と主張しています。この「新説」にNHKも大新聞も飛びついて、宣伝につとめています。
でも、ちょっとオカシイのと違いますか? 朝鮮の外交、内政を完全に日本がにぎっているのに「朝鮮人にも自治権を与えるって?」、朝鮮人をあざむくそんな伊藤博文に朝鮮人がついていかないのはあたりまえではありませんか。
植民地にされた韓国・朝鮮の人たちから見て「韓国併合」とは何だったのか、そう考えるのではなく、韓国が「併合」されたのはまるで朝鮮人の責任だ、と言わんばかりの言い草。それが「韓国併合」100年をむかえた日本でハヤリです。寒々としますね。 (奈良女子大学名誉教授 当会代表) 10/08/23
植民地支配・差別を清算するために~日韓市民共同宣言日本大会に1000人
どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)より
「植民地主義の清算を」日韓市民 都内で集会
日本の植民地支配の問題について開かれた集会で、「日韓市民共同宣言」を読み上げる参加者=22日午後、東京都豊島区
日韓併合条約調印から100年を迎えた22日、日本と韓国の市民グループが東京都内で集会を開き、日本の植民地支配による従軍慰安婦や強制労働などの問題について話し合い、日本政府に対し、被害者への謝罪や賠償を求めていくことなどを定めた「日韓市民共同宣言」を採択した。
集会は日韓の市民でつくるネットワーク「強制併合100年共同行動」実行委員会が主催。日本側代表の伊藤成彦さんは、菅直人首相談話について「併合条約の不法、不当性を認めておらず、美しい言葉を並べたにすぎない」と指摘。日韓の市民が連携し、残された問題の解決を訴えていこうと呼び掛けた。
韓国側代表のイ・イファさんも首相談話には「慰安婦や強制労働などへの言及がなく、問題はあいまいなまま残された」と指摘し「植民地主義の清算こそが東アジア共同体構築の近道だ」と訴えた。2010/08/22 19:48 【共同通信】
併合条約から100年 日韓市民千人が共同宣言採択(朝日新聞)
植民地支配・差別を清算するために~日韓市民共同宣言日本大会に1000人(レイバーネットから)
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”韓日市民団体 "植民支配糾明法 制定を"2010年08月23日
東京で共同宣言大会 開催 日本政府に過去史 解決 要求 ソウルでは来る29日に開く予定
チョン・ナムグ記者 ハンギョレ・サランバン
100年前、韓日併合条約が強制的に締結された22日、日本の市民団体らが日本政府に対し植民支配による問題を責任をもって速かに解決することを要求する一方、植民支配真相究明法の制定運動をはじめとする韓-日両国市民の共同行動計画を盛り込んだ宣言文を発表した。
韓国強制併合100年共同行動日本実行委員会はこの日、東京豊島公会堂で‘市民共同宣言大会’を開き、‘植民主義清算と平和実現のための韓日市民共同宣言’を発表した。15ヶ市民団体会員を中心に市民1000人余りとイ・イファ韓国側実行委員会共同代表などが参加したこの日の行事は、強制併合の歴史と現在をふり返る講演、慰安婦・強制徴用など植民支配被害者の証言に続き、宣言文を採択する順序で進行された。日本実行委員会は支持と共感を広めるため、共同宣言に対する署名運動をこの日から本格化することにした。
実行委員会は宣言文で「日本が軍事的脅迫下で締結した韓日議定書をはじめとする4種類の条約と韓日合併条約は不法・無効」と指摘した。共同代表の伊藤成彦中央大名誉教授は「最近、菅直人総理が謝罪すると明らかにしたが、併合条約の強制性と不法性を認めないならば虚言に過ぎない」と批判し、植民支配清算のための具体的な実践を要求した。
宣言文は日本政府に向かい3・1運動および関東大地震当時の虐殺、軍隊慰安婦動員と強制徴用、朝鮮人原爆被爆などに対し真相を明らかにし謝罪し賠償することを要求した。略奪文化財の返還と在日朝鮮人差別の是正、北韓との国交正常化なども要求した。独島問題を領土問題として教科書に記述することも中断せよと要求した。
両国市民団体らは政府が過去清算に努力することを要求する地方議会の意見書採択運動を行い、国会議員たちには被害者に謝り賠償する法を制定するよう要求することにした。植民支配の実状を記録として残すため、植民支配真相究明法制定運動を行い、民間次元でも共同調査報告書を作るために努力することにした。
日本の市民団体関係者たちが去る1月に結成した‘強制併合100年共同行動日本実行委員会’は鈴木裕子 日韓の女性と歴史を考える会々長、中原道子ネットジャパン代表、山田昭次関東大震災 朝鮮人虐殺真相究明市民連帯日本代表、姜徳相 在日韓国人歴史資料館長、宋富子 高麗博物館名誉館長が共同代表を受け持っている。市民共同宣言大会韓国行事は29日にソウルで開く予定だ。
東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr
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植民地主義の清算を求める日韓市民共同宣言日本大会 - 多面体F
8.22植民地主義の淸算と平和実現のための日韓市民共同宣言
国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」東京大学弥生講堂一条ホール 「植民地主義克服し、問題解決の転換期に」1000人超える聴衆
1千人を超える聴衆が参加した 国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」が7~8日、東京大学弥生講堂一条ホールで行われた(主催=国立歴史民俗博物館、共催=「韓国併合」100年を問う会、後援=岩波書店、朝日新聞社)。
2日間で4つのセッションと特別セッションが行われ、27人の学者、研究者らが幅広い視野、視点から見た「韓国併合」100年について問題提起と発言を行った。猛暑の中、2日間で1千人を超える聴衆が会場に足を運んだ。
まず、国立歴史民俗博物館の平川南館長が開会のあいさつをしたあと、成均館大学校東アジア学術院の宮嶋博史教授があいさつに立ち、同シンポの意義について「『韓国併合』にまつわる諸問題がいまだ解決していない状態のまま、101年目を迎えてはならないという思いからこのシンポを開くこととなった。この問題解決の転換期になれば」と述べた。
セッションに先立ち、奈良女子大学の中塚明名誉教授が「歴史をもてあそぶのか-『韓国併合』100年と昨今の『伊藤博文言説』」と題して講演を行った。
中塚氏は「今年の5月10日に発表された日韓知識人共同声明で、『韓国併合条約』について当初から不当で無効なものだと日本政府が一刻も早く認めるよう求めた。今、日本で『韓国併合』そのものについて知らない人が圧倒的に多く、知識人の中にも存在するのが現状である」と日本人の無知と歴史離れを批判。「韓国併合」から35年を経た1945年、日本帝国主義が第2次世界大戦によって敗戦したことは、日本史最大の教訓であると述べ、「朝鮮民族はもともと一つであるのに、敗戦から65年が経ってもなお日本は南北分断を固定化する動きに精力を傾けている。『韓国併合』100年のこの年にあらためて考える必要がある」と述べた。
つづいて、午後からセッション1「近代の東アジアと『韓国併合』」が始まった。
進行役を務めた千葉大学の趙景達教授が、東アジアの近代は日本が中国を奪取し、朝鮮はその餌食となる時代だったと話した。
「1905年11月に『日韓保護条約』を結んだときから朝鮮は日本の植民地に転落した。当時の日本の世論は、朝鮮人は利己主義で愛国心のかけらもないから、日本が支配するのは当たり前だという認識があった」と100年前の議論が今でも残る日本の現状を厳しく非難した。
セッション2では、「日本の朝鮮植民地支配」と題して、早稲田大学の李成市教授が「今なお求められる植民地主義の克服は、植民地期に由来する苦痛から解放されていない人々が存在するからだ」と述べた。
2日目のセッション3では「戦後日本と植民地支配の問題」に関して東京大学の和田春樹名誉教授が問題提起を行い、戦後一貫して日本の知識人の中から朝鮮植民地支配の反省、問題提起がほぼ出てこなかったと指摘した。「2002年の日朝平壌宣言によって改善されるべきであった日朝関係は、現在最悪な状態に陥っている」と述べた。
恵泉女学園大学の内海愛子名誉教授は戦争裁判と植民地の問題、朝鮮、アジアを排除したサンフランシスコ講和条約などについて言及しながら次のように指摘した。
「植民地支配の清算をすることなく日本は戦後をスタートした。冷戦崩壊、韓国の民主化闘争の勝利で被害者が声を上げることができるようになった」
「戦後補償裁判は2010年現在、80件を超す。法廷で語られる被害者の証言はこれまで無視されてきた植民地支配・戦争被害の実相であり、戦後半世紀以上も省みられなかった被害者の『叫び』だった。謝罪のない政府への怒り、不条理な処遇に、被害者は人間の尊厳をかけた執念の闘いを続けている」(尹梨奈記者)
[朝鮮新報 2010.8.20]
ニューズレター第20号を発行しました。
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目次 |
1頁:NHK Watch 8月の戦後65年特集
「吉永小百合被爆65年の広島・長崎」を見て
NHKスペシャル「密使若泉敬~沖縄返還の代償」
日米安保条約の生まれは屈辱的な不平等条約だった
2頁:こんないい番組を放送していたとは
ETV特集 「本土に問う~普天間基地移設問題の根底~」
太田元沖縄県知事の怒りと願いを追って
3頁: 政府の責任にふれることの無かったNHK
安保条約50年とメディアの重い責任
4頁:書評:「NHK鉄の沈黙はだれのために─番組改編事件10年目の告白
5-6頁:レポート 7.23 「開かれたNHKをめざす全国連絡会」拡大世話人会
7頁:NHK経営委員会に追加質問状「経営委員会の運営についての質問」を提出
8頁:NHK監査委員宛に「大相撲放送権料に関する監査要望・質問書」を提出
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「植民地歴史の負の遺産を克服」、日韓両国学生が「共同宣言」を発表
日韓両国の大学生と高校生30人が20日、ソウルの青少年メディアセンターで「日韓学生共同宣言」を発表した。日韓併合100年を迎える2010年を新 たな歴史出発点とするために、慰安婦問題などの直視や共同の歴史教科書の発行と採択を求める内容が盛り込まれた。韓国メディアが報じた。 2010/08/21(土)
17:02
■「歴史認識問題」写真特集
日本からは立命館大学と立命館宇治高の学生15人が参加。19日に慰安婦問題や教科書のわい曲など日韓両国の歴史葛藤の解消および関係改善のた めの実践策を、そして20日には「日韓学生共同宣言」を発表した。共同宣言の発表については、7月16日に立命館大学で開催された「第2回日韓青少年平和
シンポジウム」の第1回会議で合意していたとのこと。
韓国メディアは「宣言文は、両国の学生が植民地の歴史について白熱した討論を行い、作成した」と伝えた。共同宣言では、「日本による植民地支配 の負の遺産は、いまだに克服されていない」とし、「青少年の平和な未来を構築するためには過去の歴史を直視することは必要不可欠だ」と指摘した。
具体的には、政府レベルで歴史教科書問題の対策に取り組み、客観的で開かれた共同教科書の発行と採択を要求。そして、次世代を担う若者たちには 過去の歴史を学び、平和的な未来を作る「平和責任」があると明記し、「歴史教科書問題の解決をめざす努力も平和責任を果たす一つの方法だ」としている。
共同宣言文は立命館大学の小沢かおりさんが読みあげた。小沢さんは討論会前までは慰安婦問題について漠然としか知らなかったとしたうえで、「学 校で習った歴史教科書には客観的事実のみが羅列されているだけで、日本が韓国人にどんなことをしたのか教えてくれない」と述べ、間違った歴史認識を正す努
力をもって、両国の関係改善に努めたいとの意向を示した。(編集担当:金志秀)
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・日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」(2010/05/11)
・「慰安婦は天皇制による性暴力」、鈴木裕子氏の著書が韓国で出版(2010/08/09)
※各国ブログから見る日本、世界では日本をこう見る - サーチナ・各国ブログ
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菅直人首相談話、日本専門家「一歩前進」と評価
2010年8月10日17時48分配信 (C)YONHAP NEWS
http://www.wowkorea.jp/news/japankorea/2010/0810/10073607.html
【ソウル10日聯合ニュース】日本の菅直人首相が10日に韓日併合100年を迎え発表した談話に対し、日本の専門家らは「予想を上回る内容が含まれた」と評価した。
韓日併合無効を日本が認めるべきだとする日韓知識人による「共同声明」を発表した東京大学の和田春樹名誉教授は、「菅首相や仙谷由人官房長官が、自民党はもちろん、民主党内の保守的な意見にもかかわらず、努力した跡がはっきり表れている。十分ではないが、一歩前進したと評価できる」と話した。
山口県立大学・国際文化学部の浅羽祐樹准教授は、韓国の期待は非常に高く、日本の反発が激しいなか、意外に前向きな見解を示したと評価。文化財返還の意向を表明したことは日本国内で波紋を呼びそうだと指摘した。また、東京大の木宮正史教授は、「微妙な部分があるものの、予想を上回る内容であることは確実だ」と話した。
◇和田春樹教授の話=全体的な文脈からみると、今回の談話は「日韓(韓日)併合が強制的だった」ことを認めたと受け止められる。ただ、条約自体が不当であり、無効だったとする内容までは及ばず、十分ではなかったが、そうした方向に向け、一歩前進したと評価できる。今後の国会質疑などで、こうした部分が明確になるよう期待する。日本では自民党はもちろん、民主党内でも保守的な意見が強かった。その反対にもかかわらず、菅首相や仙谷官房長官がこうした内容を発表したのは非常に努力した結果だと言える。
◇浅羽祐樹准教授の話=日本政府が「併合条約が有効に締結された」という法的解釈を逸脱しないよう努力し、補償問題が提起されないよう細心の注意を払ったのは明らかだと思われる。ただ、民主党政権が自民党政権と比べ、前向きであることは十分に表現したとみることができる。文化財の返還意向を表明した部分は、「朝鮮王室儀軌」だけで終わるのは非常に難しい。日本政府が所有したさまざまな(朝鮮半島由来の)文化財があり、これらの返還の動きは民間にも影響を与えるだろう。日本国内で、文化財返還問題は意外に敏感で波紋を呼びそうな問題だ。
◇木宮正史教授の話=日本のメディアは、今回の談話は(1995年の)村山談話を踏襲する、とだけ報道してきた。しかし、談話の最初の部分は一歩前進した内容に間違いない。ただ、植民地支配までの過程が強制的だったことを認めたと解釈できるかは微妙な面がある。
「「韓国併合」100年を振り返り21世紀の日本のあるべき姿をさぐるために
「併合」100年日本委員会(略称)主催「韓国併合」100年学習会
1910年8月29日は「大韓帝国との併合条約」が「公布」とされた日と言われています。それから100年、今年2010年は、「韓国併合」100年となります。私たちは、植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざして様々な取り組みを行なってきましたが、その一環として「韓国併合」100年の学習会を開催します。多くの方にご参加いただきますようお願い申し上げます。 10/08/20
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日時 8月29日(日)
午後1時15分開場、1時45分開会
場所 川崎市教育文化会館 第6・第7会議室
川崎市川崎区富士見2-1-3 ℡ 044-233-6361
徒歩:市役所通りを
JR川崎駅東口から約15分
京浜急行川崎駅から約13分
バス:JR川崎駅東口より市営バス
水江町行き[20番乗り場]または
市営埠頭行き[24番乗り場]利用にて
「教育文化会館前」下車(市内一律200円)
内容 開会挨拶 増本一彦さん〔「併合」100年日本委員会よびかけ人〕
問題提起 大図建吾さん〔歴史教育者協議会、日朝協会会員〕
特別発言 芝崎文仁さん〔横浜教科書採択連絡会〕
鈴木宏子さん〔川崎市ふれあい館識字学級共同学習者〕
宮崎光雄さん〔元川崎市議会議、日朝協会会員〕
質疑応答・意見交換
資料代 1,000円 賛同金にご協力ください
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事務局団体 日朝協会、同東京都連合会
〒101-0061東京都千代田区三崎町2-11-13-501
TEL:03-3237-1991 FAX:03-3230-2382
E-mail:japan-korea@niccho-kyokai.jp http://www.niccho-kyokai.jp/
現地事務局:日朝協会神奈川県連合会 TEL:045-581-3697 FAX:045-243-4596
半藤一利でも司馬遼太郎でも、そして加藤陽子を読んでも知る事のできない戦争の真実がここにある。
現代日本の歴史認識―その自覚せざる欠落を問う 中塚 明=著
Amazon ブックレビューより
「明治栄光論」も「昭和の失敗」も実は、みんな日清戦争から、いやそれ以前の明治から「連続」した日本の外征戦争の歴史(=真実)だったことを著者は、きちっと史料を持って証明してくれた。
半藤一利も司馬遼太郎も加藤陽子も、「朝鮮」を自覚か無自覚か、確信犯かそれとも「本当に無知」なのか、完全に自著で「スルー」している。まさか「本当の無知」のわけがない。
半藤一利も司馬遼太郎も、加藤陽子も断じて無知のわけがないのだ。 しかし、半藤の「昭和史」を読んでも、司馬の「坂の上の雲」を読んでも、はたまた加藤陽子の「それでも日本人は戦争を選んだ」を読んでも、日清・日露戦争の「朝鮮と日本軍部=大本営の真実」は、まったく抜け落ち、「まったくわからない」。
半藤や司馬や加藤をいくら読みこんでも、「満州事変と日清・日露戦争が連続」している事がわからないのだ。 本書の著者は「思い込み」を書いているのではない。史実・史料に従って、「昭和の戦争が明治の戦争と連続している事」を証明しているのだ。史料は不在ではなく、存在しているのだ。
では、何故、半藤も司馬も加藤も「それを無視」するのか(したのか)。
そして何故、世間では、著者よりも、半藤一利や司馬遼太郎や加藤陽子を支持するのか。 そんな事(=謎)を本書を読みながらじっくりと考えたいものである。 日本の知性の光と勇気を信じながら。 10/08/13
「日本主義者の夢」 キム・ヨンボル著 翻訳 柴野貞夫
柴野貞夫時事問題研究会HPより 「日本主義者の夢」
PDF
「韓国併合」100年、新潟で集い
29日に韓国併合条約発効から100年を迎えるのを機に、日本の植民地支配などについて考える集会が7日、新潟市中央区新光町の県自治労会館であった。韓国人で平和運動家の金聖淳さん(80)を招いての講演に約100人が聴き入った。
県平和運動センターなどでつくる同実行委員会が「『韓国併合100年』日本と朝鮮半島の過去・現在・未来を新潟で考えるつどい」と題して開いた。
日本の植民地下、当時の師範学校で青春時代を送ったという金さん。「過去の両国の歴史を『学校で学ばなかった』では済まない。原因を突き止めないと同じことを繰り返す」と主張した。(写真:講演する金聖淳さん=新潟市中央区新光町の県自治労会館)
菅直人首相は過去の反省や未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする「談話」の発表を検討中だ。金さんは「政府の発言に、私はこだわらない。それよりも一人ひとりが過去の事実を認め、その思いが広がっていくことのほうが大事」と訴えた。
(有田憲一)2010年08月08日(Asahi)
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「安心の学びの場を」在特会事件 朝鮮学校関係者
京都朝鮮第一初級学校(南区)に対し、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)メンバーらが行った街宣活動は10日、幹部ら4人が威力業務妨害容疑などで府警に逮捕される事件に発展した。学校関係者は「子どもたちが安心して学べる環境を取り戻したい」と胸をなで下ろした。
「表現の自由を隠れみのにした、許されない違法行為であることが示された」。逮捕後、弁護士98人でつくる「京都第一初級学校嫌がらせ事件弁護団」のメンバーら5人が記者会見し、そう語った。
在特会は、街宣活動をインターネットの動画サイトで公開し、会員を増やしてきた。弁護団メンバーの一人は「市民が『ネットを見て気軽に参加しました』では済まされない犯罪行為。逮捕が警鐘を鳴らすことにもつながる」と期待を寄せた。(写真:在特会メンバーの逮捕を受け、記者会見する「京都第一初級学校嫌がらせ事件弁護団」の弁護士たち=中京区)
この日、夏休み中の初級学校では、クラブ活動に取り組む児童らが朝から姿を見せ、大きな混乱はなかった。金志成(キム・チソン)校長は「グループが子どもたちを混乱と不安に陥れたことは決して許すことができない。常軌を逸した異常な言動が、法の裁きを受けることは当然」とコメントした。
一方、自らも東京の自宅が家宅捜索を受けた在特会の桜井誠会長は動画サイトで主張を展開。「在特会は常に筋を通してきた。活動に犯罪行為があったとみなされるのであれば、堂々と法廷の場で戦えばよろしい」などと発言し、会員らには「暴発」をしないよう呼びかけた。
逮捕された在特会メンバーの「日本からたたき出せ」といった言動について、太田修・同志社大大学院教授(朝鮮現代史)は「単なる誹謗(ひぼう)中傷。在日の児童らへの人権侵害以外の何物でもない。彼らの挑発は冷静に受け止めなければならない」とみる。
アジア諸国への植民地支配をめぐり、日本政府が反省とおわびを示した1995年の「村山談話」と、それを踏まえて韓国へのおわびの言葉を述べた10日の菅直人首相の談話は、多くの国民の共通認識に支えられていると、太田教授は考える。一方で、これを極端に否定する意見が若い世代にみられることを懸念し、「歴史教育を再検討する必要がある。アジア諸国に対する、私たち市民の良識が問われている」と指摘する。
2010年08月11日(Asahi)
韓国併合100年 首相談話の全文
本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の8月、日韓併合条約が締結され、以後36年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。
私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。
このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌(ぎき)等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。
日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨(せっさたくま)しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。
日韓両国は、今この21世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。
私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆(きずな)がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。 10年8月10日11時38分(朝日)
■ 伊藤博文の歴史的評価-官製学問の限界と制約- ■
社会科学者の時評 より 関連記事 10/08/08
◎ 伊藤博文は韓国のためを思って日本の政治・外交をおこなった人物か? ◎
【中塚 明「韓国併合」100年を問う「講演」2010年8月7日の意味】
① 伊藤博文に関する「研究動向」-伊藤之雄の官許的学問-
本ブログは昨日〔2010年8月7日〕の記述末尾で,8月7日と8日の2日間,東京大学弥生講堂一条ホール(農学部構内)で開催された『国際シンポジウム 「韓国併合」100年を問う』(主催:国立歴史民俗博物館,共催:「韓国併合」100年を問う会,後援:岩波書店・朝日新聞社)を紹介した。このシンポジ ウムの「開催主旨」は,国立歴史民俗博物館が2010年3月に第6展示室(現代)をオープンし,そのなかの重要なテーマの一つが韓国併合と植民地の問題で
あることに触れて,こう述べている。
「日本国内において近代以降の日本の歴史に関する社会的合意がなされていない」。なかでも「韓国併合が合法的なものであった否かを含めた,併合過程そのものについての歴史的評価」,あるいは「その前提にある日本と韓国の『近代』のありかたについての考え方をめぐって研究者の間で」「新たな議論が喚起されることを期待し」ている。「開館以来,長年の懸案であった第6展示室(現代)を開室したが,事実に基づいた真摯な学術的議論を組織することで,歴史認識を異にする人々の間での交流をより豊かなものにしたい」。
この『国際シンポジウム 「韓国併合」100年を問う』の第1日め,その最初の講演者は,
中塚 明で
あった。中塚は1929年生まれの日本史学者であり,京都大学文学部史学科卒業後,奈良女子大助教授・教授を務めてきた。専攻は近代史,日本と朝鮮との関
係史。著作に『日清戦争の研究』(青木書店,1968年),『近代日本の朝鮮認識』(研文出版,1993年),『現代日本の歴史認識』(高文研,2007
年)などがある。
出所)写真は中塚 明。http://www.google.co.jp/images?q=中塚明 より。
中塚は最近作としてさらに,『現代日本の歴史認識-その自覚せざる欠落を問う-』(高文研,2007年5月),
『司馬遼太郎の歴史観-その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う-』(高文研,2009年5月),安川寿之輔・醍醐 聰共著『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う-日清戦争の虚構と真実-』(高文研,2010年6月)などを公刊している。
中塚の『司馬遼太郎の歴史観-その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う-』(高文研,2009年8月)は,司馬遼太郎の著作について,こう批判している。
『坂の上の雲』の総発行部数は累計2千万部を超え,原作者の司馬は「国民的作家」と呼ばれた。その没後も多くの著作物,関連図書が刊行され,日本人の歴史観に大きな影響を及ぼしている。『坂の上の雲』の中で,司馬は繰り返し,「明治の指導者・国民は良かった。戦前の昭和は本来の日本ではなかった」と主張してやまない。
司馬だけではなく,大佛次郎,大岡昇平といった作家たちも,「明治の先人たちの仕事を三代目が台無しにした」という認識を残している。その「明治栄光論」は多くの日本人の共有している歴史感覚でもある。しかし,中塚さんは明治という時代は,「明るく希望があった青春ニッポン」だっただろうか,と根本的な疑問を投げかけている。
とりわけ本書では,明治日本が,朝鮮半島を踏み台にして帝国主義国への階段をかけあがっていった過程を,具体的な事例(日本軍による朝鮮王宮占領事件,
朝鮮農民軍の虐殺,朝鮮王妃殺害事件)をカギとして解き明かし,明治日本が純粋無垢な「少年の国」(司馬の言葉)ではなかったことを証明している。
注記)http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j0928-00001.htm
国際シンポジウムで,中塚 明が主にとりあげた明治政治史上の人物は,伊藤博文である。中塚は最近になって,政治学者のなかからこの伊藤博文を〈司馬遼太郎風の歴史観〉に近づけて描こうとする傾向〔偏向〕がある事実を問題にする。その代表的な人物は,京都大学の政治学者伊藤之雄である。
出所)写真は伊藤之雄。http://www.google.co.jp/imglanding?q=伊藤之雄 より。
② 伊藤之雄「伊藤博文論」の問題性
伊藤之雄は,李 盛煥との共著『伊藤博文と韓国統治-初代韓国統監をめぐる百年目の検証-』(ミネルヴァ書房,2009年6月)に続いて,『伊藤博文-近
代日本を創った男-』(講談社,2009年11月)を公表していた。この伊藤之雄による〈伊藤博文研究の路線〉に追随するかのような著作,龍井一博『伊藤博文』(中央公論新社,2010年4月)も執筆・公表されている。
国際シンポジウムで中塚が伊藤之雄を批判した論旨を,当日〔8月7日〕に配布されたレジメに沿って,本ブログ筆者なりに消化しつつ以下に紹介する。
1) 日本の朝鮮侵略から日本敗戦まで
1875〔明治8〕年,日本艦船によって起こされた江華島事件を出発点に,その35年後の1920〔大正9〕年,日本による「韓国併合」が強行された。そしてそのまた35年後の1945〔昭和20〕年,日本は第2次大戦:大東亜戦争に敗戦する。その間,ちょうど70年が経過することになった。
韓国併合は,日本の軍事力を背景とする強圧的な政治交渉をもって結果したが,その過程において伊藤博文ら日本の高官が果たした役割に関する「学問的な評価方法」が,当面の論題である。このごろは,司馬遼太郎「仕込み」の明治政治・外交史観がはやっており,この観方に即したかのような,当時の日朝〔韓日〕関係を塗り替えようとする〈学術書のよそおい〉をした著作まで登場している。それが,京都大学政治学者伊藤之雄の『伊藤博文-近代日本を創った男-』2009年11月であり,龍井一博の『伊藤博文』2010年でもある。
伊藤之雄や龍井一博は,「伊藤博文言説」を歴史学的な観点で分析してはいるけれども,「歴史の事実」に対する解釈として,とうてい耐性のない偏向した見解を披露している。中塚は,金 文子『朝鮮王妃殺害と日本人』(高文研,2009年2月)の研究成果,国立公文書館アジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)に所蔵されている史料の発掘・解明に依拠して反論をくわえ,伊藤之雄や龍井の歴史解釈が大きく偏倚し,関連する史料の探索・利用に決定的な手抜かり・渉猟不足があるとも指摘している。
中塚は,日本帝国主義史のひとつの結末が〈日本敗戦〉であり,ここまでの歴史過程で活躍してきた伊藤博文のような大政治家のとりあつかいにおいては,よほど慎重な考察が必要であることを,あらためて要請している。たとえば龍井は,伊藤之雄の影響も受けて「『思想家』としての伊藤〔博文〕」に注目する問題意識を強調している(龍井『伊藤博文』351頁)。
しかし,政治家を研究するさい〈思想史の観点〉からも吟味することは,ある意味でしごく当然の理論手順におけるひとつの要因・過程でしかない。
だから,21世紀のいまごろにもなってから,伊藤博文の外交業績=「韓国併合を直接に先頭で指揮した事実」〔大韓帝国の閣僚たちに対して「同意しなければ殺してやる」と口にしたこともある〕に関連させて,思想家の側面から観た伊藤博文「論」を構想的に追加して,従来の伊藤博文「論」を再検討する手順を踏んだつもりで,こうもいっている。すなわち,朝鮮を植民地にしていった日帝の国家意思の枠組においては,当時におけるほかの日本の政治家に対して「伊藤博文のばあい〈明確な一線〉を引くこと」ができる。そのような「顕著な違い」をもちあわせていた政治家であったと。
だがこの見地は,中塚にいわせれば「司馬遼太郎風」の「フィクション的な造作」であって,学問的には批判を受けるべき「明治史観」の立場でしかないと批判されている。
出所)写真は,http://www.google.co.jp/images?q=司馬遼太郎 より。
2) 伊藤之雄『伊藤博文』2009年の「狭隘な短見的歴史観」
伊藤之雄『伊藤博文』は,伊藤博文が「直前まで韓国併合に反対だったという」点を,「伊藤〔博文〕の擁護をとおして,漸進的な民主化の道を進んだ明治国家を擁護しようとするものである」(『朝日新聞』2010年1月10日朝刊「読書」欄,評者は学習院大学井上寿一)。
伊藤之雄『伊藤博文』から引用する。--だから,「おそらく伊藤は,近代化された韓国や清国に対し,日本が主導する形で,連合していくのを理想としているのであろう。しかし,それは西欧諸国との貿易等を排除しない,ゆるやかな地域連合である」。「また,韓国が日本の提案に抵抗し,近代化する道を選ばないなら,滅亡するしかないと,伊藤〔博文〕は言外に述べている。このことから,帝国主義の厳しい時代を考慮し,近代化が進展しない場合は,併合もありうると考えていた」(伊藤之雄『伊藤博文』489頁)というふうに,伊藤之雄は,伊藤博文に関する〈擁護〉論を相対的に強調する論説を導出していた。
以上のごとき,伊藤之雄が駆使する修辞は「おそらく」「理想」〔である〕と
いうものであって,どこまでも推定の話でなされている。それでいながらも結局は,当時の大韓帝国が日本帝国の要求〔=いうこと〕を聞かないならば「滅亡す
るしかない」,したがって「日本の植民地になった」のも「歴史的に当然のなりゆきであった」といってのけている。つまるところ,政治学者=歴史の研究者の
見解としてはきわめて雑であって,日本・日本国・日本人側の主観面にとってのみ好ましい方角で〈歴史の過程〉を現象的に観察し,そのまま鵜呑みにした〈一
方的な歴史観〉を提示している。
それはいいかえれば,司馬遼太郎風の明治史観にすり寄り,すっかり乗っかってしまったかのような,すなわち「非学問的な歴史観」である。いまさらのように「〈学術書〉の体裁」をまとった著作伊藤之雄の『伊藤博文』が,大衆歴史小説まがいの見地を鮮明にしたのである。同書は,まともな歴史研究を志したい学究にとっては,非常に堪えがたい,粗雑な研究書である。その論旨においては,歴史の事実に先走る〈推論〉ばかりが目立っている。
③ 旧帝大系列における国家主義的学問の〈伝統の重み〉か -帝大系歴史学者の特性
1) 戦後の京大歴史学者
なかんずく,中塚の「講演」で強調されたのは,伊藤之雄が伊藤博文を研究するさい “国立公文書館アジア歴史資料センター”
に所蔵されている史料を,探索も活用もせずに自説をまとめ,立論したという問題性であった。同じ京都大学で歴史〔学〕を習ってきた学者同士でも,学外に出
ていき学究となった中塚と,学内に残って学究となった伊藤之雄のあいだには,測りしれないほど大きな溝が存在するのか。
伊藤之雄はさきに『明治天皇-むら雲を吹く秋風にはれそめて-』(ミネルヴァ書房,2006年9月)を公刊している。本書は,明治天皇の在位様式に対して〈突出した影響関係〉を有した伊藤博文に論及がある。
「まさしく伊藤〔博文〕が求めた明君の姿」(伊藤之雄『明治天皇』270頁)が実際に顕現していたとすれば,これに整合的な伊藤博文「像」を仕上げて「明治史の全体像」に合致させるために,伊藤之雄の次作『伊藤博文』2009年11月が上梓されていたともいえる。伊藤之雄は,日本帝国主義史観に都合よく嵌めこまれうる「〈明治天皇〉と〈伊藤博文〉との相互整合的な位置関係」を,新たに意図的に点描しようとしてきた国家御用達的な歴史学者である。
伊藤『明治天皇』は,歴史研究にあっては「誤った『史実』を除外すること」(同書,43頁)が大事であると強調していた。けれども,彼自身の著作における主唱が当初から「誤った結論」を志向していたかぎり,これが到達するほかない的外れの異境学域に片足をとられたまま,これを抜くことができていない。ここに決定的な難点を残していた。官製:御用学者的な学問展開,その明治史研究が残した無様な研究成果だけが表面に浮上する始末とあいなった。
2) 戦前の京大歴史学者
京都帝国大学教授の朝鮮史家として今西 龍(いまにし りゅう:1875-1932年。東京帝国大学卒,京城帝国大学・京都帝国大学兼任教授)がいた。今西は『新羅史研究』(近沢書店,昭和8年),『百済史研究』(近沢書店,昭和9年),『朝鮮史の栞』(近沢書店,昭和10年),『朝鮮古史の研究』(近沢書店,昭和12年)などの著書を公表していた。
この今西が披露していた「対朝鮮」観の一端を紹介しておく。こういう事態を平然と語ることができていたとすれば,「盗人猛々しい」の好例である。戦前における日本帝国主義は,朝鮮半島においてこのような行為を,国家的規模でかつ民間人の手でも堂々と敢行していた。
☆ 盗掘を助長した日本の学術調査 ☆
日本人盗掘者は,韓国での経済的基盤が固まるまで,統監府とそれにつづく総督府の手厚い保護を受けたのである。しかし,盗掘者は,民族的義憤にかられた住民からたびたび手痛い目に遭っている。たとえば,1916年に江華島の高麗古墳を踏査した今西 龍は,つぎのように記録している。
「この陵は大正5年より8年前,約20人の日本人来りて盗掘し,多数の遺物を獲得したが帰途,その当時横行せし暴徒(住民をこのように表現した)に襲わ
れ,銃を捨て,一行ことごとく殺致されたという」(「高麗諸陵墓調査報告書」『朝鮮古蹟調査報告書』朝鮮総督府編,1916年)
注記)http://soutokufu.s145.xrea.com/index.php?・・・ より。 写真は,http://spysee.jp/faces/291313 より。
--京都帝国大学関係の歴史学研究者による「朝鮮史研究の立場」は,東アジア侵略史を正当視した価値観を当然の背景に踏まえる〈学問の展開〉でありつづけているのか?
21世紀のいまになってもなお,京大「東洋史研究者」の立場に固有の制約・限界となって,それが現出しているとすれば,そして,その片鱗が伊藤之雄の立場
に影を落としているとすれば,これはみのがすわけにはいかない〈ゆゆしき問題性〉である。これは,伊藤之雄の展示する〈学問の真価〉を根底より揺さぶるほ
かない〈不可避の論点〉を意味する。
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日本経営学界を解脱した社会科学の研究家
Profile : ☆ 現代社会・産業経営に関連する諸思想および諸問題を総合的に論究しています ☆
「韓国強制併合 100年」日韓市民共同宣言大会 8月22日(日)
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どこへ行く、日本。 より
8.22日韓市民共同宣言大会の 賛同・参加について お願い
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「韓国強制併合100年」共同行動日本実行委員会
「韓国強制併合100年」共同行動7・8月企画 : 8・22
日韓市民共同宣言大会
「韓国併合」100年「日本と朝鮮半島の過去・現在・未来を考える」
日 時 8月7日(土)~8月8日(日) いずれも10:00~
会 場 龍谷大学アバンティ響都ホール(JR京都駅南)
共 催 「韓国併合」100年市民ネットワーク・龍谷大学社会経営学研究会
詳細はこちら 10/08/04
流出の朝鮮半島文化財6万点、日本の250カ所で所蔵
【ソウル=牧野愛博】朝鮮半島から流出した文化財が、日本の大学や寺社など計250カ所で所蔵されていることが韓国国立文化財研究所の調べで分かった。韓国政府関係者が明らかにした。韓国側は、流出の経緯を詳しく調べて返還への道筋を探りたい考えだが、費用の問題などから調査は進んでいない。(朝日 10年8月2日8時31分)
同研究所は今年1月、日本に流出した朝鮮半島由来の文化財は計6万1409点にのぼると発表したが、所蔵先の内訳が明らかになるのは初めて。
宮内庁のほか東京や京都の国立博物館、国立公文書館内閣文庫、東京大、早稲田大など国公立を含めた大規模施設が57カ所。東京の増上寺や京都の知恩院といった寺社などが145カ所、個人所有が48人。多くは書籍類や仏像、陶磁器などだ。
日本政府は1965年に韓国と文化財・文化協力協定を結んだ際、朝鮮半島由来の国有文化財約1300点を韓国側に引き渡し、「法的な問題は決着した」との立場だが、国有の所蔵物の中には協定締結時に日本側が所在を十分に把握していなかった文化財が含まれている可能性がある。
また韓国政府内には、日本の植民地支配の時代に正当な理由なく流出したことが証明された場合には、日本側の自主的な返還を迫るべきだとの声がある。
韓国政府は、宮内庁が所蔵する朝鮮王朝の儀典書「朝鮮王室儀軌(ぎき)」や同王朝の歴代王が受けた講義の資料「経筵(けいえん)」などは、当時の朝鮮総督府が日本に持ち込んだと判断。4月にカイロで開かれた「文化財保護と返還のための国際会議」でも「宮内庁所蔵の朝鮮王室図書は不法に持ち出された」と主張した。
ただ、同研究所の調査は基礎学術資料の収集目的で実施されており、流出の経緯はほとんど解明されていない。日韓の専門家からは、日本による韓国併合から今年で100年になるのを機に、流出の経緯を調べる学術交流会議の設置を求める声が出ている。
集会:韓国併合100年 今こそ日朝国交回復を--金沢
日本が朝鮮半島を支配した韓国併合から今月で100年を迎えることを受け、金沢市の市民団体が1日、金沢市西念1の労済会館で「韓国併合100年・歴史の責任と市民の連帯」と題する集会を開いた。大学教授や労働、教職員組合でつくる「『大東亜聖戦大碑』撤去の会」が主催、約100人が参加した。
集会では、日本の支配にほんろうされた朝鮮人BC級戦犯の人生をたどった「キムはなぜ裁かれたのか」など、日本の戦後補償や戦争犯罪の著作で知られる早稲田大大学院の内海愛子客員教授が講演した。「日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判では、朝鮮支配の責任は不問にされた」と述べ、朝鮮半島での過去清算の一環として、一刻も早い日朝間の国交回復などを求めた。
内海客員教授は、連合軍の捕虜監視員の任についた朝鮮人129人が、BC級戦犯裁判で有罪になった史実を紹介。「東京裁判では朝鮮総督に対する植民地支配責任が不問にされた一方で、朝鮮人は“日本人”の一員という理由で裁かれた」と語った。
続いて講演した恵泉女学園大の李泳采(イヨンチェ)専任講師は「日朝国交正常化を進めるなど、100年が過ぎた今こそ具体的な行動が求められている」と訴えた。【松井豊】
毎日新聞 2010年8月2日 石川版
歴史教育者協議会:全国大会、1000人集う--3日まで /愛知
歴史教育者協議会第62回全国大会(愛知大会)の全体会が31日、名古屋市公会堂であった。今年のテーマは「現在を見つめ、歴史に学び平和な未来を」。全国の小学校から大学までの社会科教育関係者約1000人が集まり、3日まで分科会などを行う。
山田朗・協議会委員長は「今年は韓国併合や大逆事件から100年の節目。昨年から『坂の上の雲』の放送が始まったが、史実とフィクションの混同が進むのを恐れている」とあいさつした。地域実践報告では、春日井市の小学校での米作りの取り組みが紹介された。
また、安川寿之輔名古屋大名誉教授が「『韓国併合・大逆事件』100年と『坂の上の雲』」と題して講演した。【山田泰生】8月1日10時58分配信 毎日新聞
韓国文化財 返して/10万人の署名携え 利川市民ら来日/高麗時代初期の作 五重石塔 10/07/28
「韓国併合100年の今年、文化財を元の場所に返してほしい」―。日本の植民地時代に持ち出された五重石塔の返還を求めた運動が、韓国・利川(イチョン)市で広がっています。このほど10万人の署名を携えて、趙炳敦(チョ・ビョンドン)利川市長をはじめ、石塔の返還を求める市民団体の代表らが来日しました。
五重石塔は現在、東京都港区のホテルオークラ東京に隣接する私立美術館「大倉集古館」にあります。高さ約6メートル、高麗時代(918年~1392年)初期の作と推定され、利川市側によると、石塔は1915年、日本の植民地統治機関だった朝鮮総督府が開いた博覧会で展示のため、利川から京城(現ソウル)の景福宮へ移設されました。18年10月、総督府の許可に基づき、東京に持ち出されたといいます。現在、日本の重要美術品に指定されており、国外に持ち出す場合は政府の許可が必要となります。
趙市長らは21日、大倉集古館の大崎磐夫理事長、渋谷文敏副館長らと懇談し、利川市民20万人の半分にあたる約10万人分の署名と要望書を手渡しました。
趙市長は、記者会見で「石塔は千年にわたって利川の地にあったもので、市民にとって精神的支柱をなしてきた。ぜひ元の場所に返してほしいと訴えた」と述べました。
利川の五重石塔還収委員会の朴菖熙(パク・チャンヒ)実務委員長は、「集古館側の人たちは、当時の総督府と(集古館の)理事が持ち出しについて、やりとりした往復書簡があることや、日本に石塔が来たいきさつをあまり知らないと言っていた。互いにもっと勉強し、今後も討論しあう必要性を感じた」と話しました。
大倉集古館側は、利川市民の気持ちは理解できるとしながらも、「歴史的な文化財としてしっかりと保管し、この場所で多くの人に見ていただきたいと思っている」と返還に応じないとしています。(栗原千鶴)
(しんぶん赤旗)
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日韓併合、首相談話で無効宣言を 両国の学者らが要請
1910年の韓国併合条約は当初から無効だったと日本政府が認めるよう求めている日韓の研究者が28日、荒井聡国家戦略担当相と伴野豊・民主党国際局長に、併合から100年を迎える8月に菅直人首相が無効と宣言する談話を出すよう求めた。
荒井担当相らは「真剣に受け止め検討する」と答えたという。
申し入れた和田春樹・東大名誉教授は、併合無効を日本が認めるべきだとする日韓知識人による「共同声明」を5月に発表し、28日までに日韓で1100人超の歴史学者や作家、宗教者が賛同。この声明を談話の趣旨に反映させるべきだと求めた。
日韓は国交を樹立した65年基本条約で、併合条約は「もはや無効」と明記。韓国が条約は締結時から無効だと主張する一方、日本は少なくとも植民地支配中は有効だったとの立場を取っている。2010/07/28 20:01 【共同通信】
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韓国併合100年/歴史認識共有なぜ必要か/崩れた「合法的植民地」論
多面体Fブログよりリンク
こちら
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● 韓国併合にいたる明治期日本の政治・外交の真実と教科書記述 大日方純夫さん(早稲田大学教授)
開闢(1991)東学党の乱 2010年企画「90年代韓国映画傑作選」
コリアキネマ倶楽部 2010年第3回〈日韓併合100年記念〉
2010年8月14日(土)
『開闢(かいびゃく)』 1991 キム・ミョンゴン主演、イム・グォンテク監督で、東学党の乱(甲午農民戦争)を描く歴史大作を光復の月に。
http://homepage2.nifty.com/taejeon/joeikai/joei2010.htm
1894年の東学党の乱(甲午農民戦争)を描く歴史大作映画です。
日本や清国の侵略を前にして、朝鮮政府に対して起こされた民衆蜂起。
しかしその志も最後には、朝鮮政府や日本に弾圧されていくのでした……。
韓国の名匠、林権澤(イム・グォンテク)監督が挑む、2時間半の重厚な映像。
主役は、「風の丘を越えて」で親父役を演じた金明坤(キム・ミョンゴン)。
場所:文京シビックセンター 地下1階 アカデミー文京(南北線 後楽園駅)
時間:6時開場 6時半開映
料金:無料 予約不要
主催:コリアキネマ倶楽部 共催:韓国文化院
開闢 李氏朝鮮時代末期の”東学党の乱”を描く歴史大作。 10/07/20
学問の退廃とマスコミの劣化―毎日新聞掲載「伊藤博文と韓国併合」上下を読む 梅田 正己(書籍編集者)
10/07/19
来たる8月22日は「韓国併合」条約調印からちょうど100年の日となる。
その日を前に、毎日新聞は「伊藤博文と韓国併合」の標題で、7月13日と14日の夕刊文化欄に2人の歴史家の寄稿を掲載した。
まず13日は伊藤之雄(ゆきお)京都大学教授(日本近現代史)、翌14日が月脚(つきあし)達彦・東京大学准教授(朝鮮近代史)である。
ここでは伊藤氏の主張について検討する。(こちら参照)
■伊藤博文は韓国の「近代化」をめざしていたという説
正確を期するために、まず伊藤氏の文章を引用し、その上で私の意見を述べる。
伊藤氏は「一次資料を新しく使って、私が導いた結論」として次のように書く。
①「伊藤(博文)は、帝国主義の時代の列強の国際ルールに制約された韓国統治を行った。そのルールとは、自国を防衛する力がない国は侵略されても仕方がないというものである」
②「伊藤は、日露戦争が起きた一因は韓国が不安定だったからだと確信し、韓国は独力では独立を維持するのが困難だと判断した。そこで日露戦争の直後の1905年、韓国に統監として赴任、日本の強い指導と援助の下で韓国の近代化を達成し、日本の安全保障と韓国の独立を保持しようとした」
③「それに対し、韓国皇帝高宗(コジョン)はオランダのハーグで開かれた国際平和会議に密使を送り、07年6月に日本の行為が不当だと訴えたが、どの列強も相手にしなかった」
④「伊藤博文は韓国併合に反対であり、韓国国民に帝国主義の時代の厳しさを知らしめ、その自発的な協力を得て韓国を近代化させようとした」
⑤「しかし彼の統治は韓国国民の支持を得られず、09年4月に賛成せざるを得ないと決意するに至った」
⑥「しかし併合後も、朝鮮に朝鮮人の『責任内閣』と植民地議会を置く形で、ある程度の『自治権』を与え、朝鮮の人々と対話を続けていくことが大事だと考えていた」
以上、①~⑥は原文のままであり、途中省略はしていない。
一読して、何かヘンだと感じられなかっただろうか。
まず①である。
伊藤は「自国を防衛する力がない国は侵略されても仕方がない」という「国際ルール」に「制約され」、「韓国統治を行った」と書いている。
当時の帝国主義の「ルール」を「利用して」、あるいは「依拠して」と言うのならわかる。しかし侵略を当然視した国際ルールに「制約され」て、他国を支配したというのはどういうことか? 不可思議な文章ではないか。
次に②。「日露戦争が起きた一因は韓国が不安定だったからだ」と伊藤博文は確信していた、と伊藤氏は書いている。
「歴史家」を名乗るものが、何を言っているのだろうか。
日露戦争を終結させるための日露講和条約(ポーツマス条約)の第二条(第一条は形式的な精神条項だから、これが実質的な第一条)にはこう書かれていた。
第二条 ロシア帝国政府は、日本国が韓国において、政治上・軍事上および経済上、卓絶なる利益を有することを承認し、日本帝国が韓国において必要と認める指導、保護および監督・管理の措置をとるに当たり、それを阻害したり干渉したりしないことを約束する。
つまり戦争に敗れたロシアは、以後、韓国(朝鮮)における日本の「政治上・軍事上および経済上の卓絶なる利益」を認める、と言っているのである。
日露戦争は、朝鮮に対する独占的支配を、日露のどちらが取るか、を第一の目的とした戦争だった。その結果、日本が勝ち、今後の韓国に対する「指導、保護、監督・監理」いっさいをロシアは認めるということを、講和条約の第一番目に双方で認め合ったのである。
「日露戦争が起きた一因は韓国が不安定だったからだ」と伊藤氏は書いていた。
たしかに、韓国の状態は「不安定」だった。なぜなら、日本とロシアがその支配権を奪い合っていたからだ。つまり韓国の「不安定」は、ロシアと、そして日本帝国自身がつくりだしていたのだ。
自ら独立の基盤を突き崩しておいて、「韓国は独力では独立を維持するのが困難だと判断した」から、伊藤博文は、日本の強い指導の下で「韓国の独立を保持しようとした」と考えた、とこの②で伊藤氏は述べているのである。
こういう“論理”を、何と言ったらいいのだろうか。
国の「独立」とは何か。広辞苑ではこう書いている。
「国が、その権限行使の能力を完全に有すること」
では、第二次日韓協約(1905年11月、先のポーツマス条約の3ヵ月後)で伊藤博文が統監に就任した後の韓国の「独立度」はどうだったか。
第二次日韓協約の第一、二条はこうである。
第一条 日本の外務省は、今後、韓国の外国に対する関係および事務を管理・指揮する。
第二条 韓国政府は今後、日本国政府を通さずに外国との条約あるいは約束を交わすことはしない。
国際社会において、他の国と対等に交際し、発言し、約束を交わすことのできない国、そんな国を「独立国」とはいえない。
外交権の剥奪は、国家にとって最大の恥辱といえる。
だからこそ、韓国皇帝は、伊藤氏が③に書いているように、日本の不当を訴えるために、ハーグの国際会議に密使3人を送った(07年6月)。しかし各国はその訴えを黙殺した。そのため密使の一人は自ら命を断って憤死する。
ところが伊藤氏は、例の「国際ルール」を当然と認めたように、ここでも韓国皇帝の必死の訴えは国際常識に反してでもいたかのように、「どの列強も相手にしなかった」と、さらりと書いてすましている。
しかし現実の伊藤博文は、この韓国皇帝の抵抗に、不安と危険を感じ取る。
そこで高宗皇帝を退位させ、皇太子を帝位に就けるとともに、李完用内閣に迫って第三次日韓協約を結ぶのである(07年7月)。
この第三次日韓協約について、伊藤氏は全く触れていない。
しかしこれこそが、「併合」条約以上に決定的な条約であった。
一般にはあまり知られていないので、第一条から六条までを紹介する(三条は略)。
第一条 韓国政府は施政改善に関して統監の指導を受けること。
第二条 韓国政府が行なう法令の制定および重要な行政上の処分は、あらかじめ統監の承認を得ること。
第四条 韓国高等官吏の任免は、統監の同意を得て行なうこと。
第五条 韓国政府は、統監の推薦する日本人を官吏に任命すること。
第六条 韓国政府は、統監の同意なくして外国人を雇ってはならないこと。
韓国政府は、政策決定から法令の制定、行政処分、高級官吏の任免、日本人官僚の任命まで、いっさいを「統監」の指導・承認の下に置くこととしたのである。
「統監」の同意がなければ何もできないという、いわば政治の禁治産者状態である。もはや「独立」などはどこか遠くに消し飛んでしまった。
しかもこの上に、「不公表」の覚書を結んで、裁判所と監獄を設置するが、そのトップはすべて日本人が占めることとし、さらに極め付け、韓国軍隊を「解隊」させたのである。
以上の協約を、「統監侯爵 伊藤博文」は、「内閣総理大臣 李完用」との間で結び、調印した。
(以上の第三次日韓協約の全文はインターネットで「第三次日韓協約」と打ち込めば直ちに出てきます。確認してみてください。)
反戦の川柳作家、鶴 彬(つる・あきら)の作品に、
手と足をもいだ丸太にしてかへし
というのがある。たしか日中戦争時代の作品である。
日本は、第三次日韓協約によって、韓国をいわば「手と足をもいだ」状態にし、その上で「併合」した。
1910年の「併合」は、植民地化完了の「儀式」でしかなかったともいえる。
その証拠に、「韓国併合に関する条約」は全8条からなるが、第一条で韓国皇帝が韓国を「譲与」し、第二条で日本国皇帝がそれを「受諾」すると述べているほかは、併合後の韓国皇室・皇族の処遇などについて述べているだけで、統治に関する事項について具体的にはまったく触れていない。
実質的には、日本は第三次日韓協約によって韓国を完全に自国の支配下に組み込んだ。その第三次日韓協約を結んだ日本側の代表が、伊藤博文統監だったのである。
以上の事実に照らせば、伊藤氏の
④「伊藤博文は韓国併合に反対であり、韓国国民に帝国主義の時代の厳しさを知らしめ、その自発的な協力を得て韓国を近代化させようとした」
といった伊藤博文に対する弁護がいかに空々しいものであるかは、中学生にもわかるだろう。
まして、行政、司法、警察、外交権をすべて奪い、軍隊を解散させてしまった国の人々に対して、伊藤は、⑥「併合後も、朝鮮に朝鮮人の『責任内閣』と植民地議会を置く形で、ある程度の『自治権』を与え、朝鮮の人々と対話を続けていくことが大事だと考えていた」などと言うのは、人をバカにした、おためごかし以外の何ものでもない。
「政府」を失った韓国人たちが、武器を取って命を的に立ち上がった義兵闘争を、この歴史家はどう見ているのだろうか。
だいぶ長くなったが、私が述べたことを箇条書きにすれば、次のようになる。
(1)日本は、日清戦争で清国を破り、つづく日露戦争でロシアを破って、韓国に対する独占的支配権を確保した。
(2)その上で1905年、第二次日韓協約で韓国の外交権を剥奪し、伊藤博文が初代統監に就任、以後の対韓国政策を中心になって推進した。
(3)統監・伊藤は、07年、第三次日韓協約を強制締結し、外交権につづいて行政、司法、警察権を掌握し、軍隊を解散させた。これにより、韓国は実質的に日本の支配下に完全に組み込まれた。
(4)1910年、日本は韓国を「併合」した。しかしこれは植民地化の完了を世界に表明した「儀式」にすぎない。
(5)以上に見たように、「実質併合」の主役は伊藤博文にほかならない。それなのに、④「伊藤博文は韓国併合に反対であり、韓国国民に帝国主義の時代の厳しさを知らしめ、その自発的な協力を得て韓国を近代化させようとした」などというのは、人をあざむく欺瞞と言うしかない。
■学問における「退廃」について
以上の「引用」と説明から読み取れるように、この寄稿文で伊藤之雄氏が主張しているのは、伊藤博文がめざしていたのは韓国の「近代化」であり、「近代化」を進めることによって国力をつけさせ、それにより「独立」を維持させることだった、ということだ。
したがって文章のタイトルも、「近代化による韓国独立保持を意図」となっている。
伊藤博文が本当にそのような人物だったとしたら、彼は“韓国を滅ぼした帝国主義者”とは正反対の“韓国の「近代化」と「独立」をめざした恩人”ということになる。
まさに180度の転換である。
しかし、第三次日韓協約によって韓国を実質的に植民地化し、その条約に「統監侯爵 伊藤博文」と署名して押印したのは、博文その人にほかならなかった。
「独立」を奪った張本人に対して、いや本当は「独立を保持」しようとしていたのだ、と伊藤氏は言う。
こういう言説・考え方は、学問にとってどういう意味を持つのか――。
他国、他民族の土地を植民地化するということは、そこに住む人間(民族)の誇りを打ち砕き、アイデンティティーを破壊することである。
それがどんなに耐え難いことであるかは、自分たちの国(土地)に外国人がやってきて、行政・産業・司法・警察・軍の要職を独占し、自分たちを支配・命令することを考えれば、すぐに分かることである。
その非人間性ゆえに、現代においては植民地化は認められないし、許されない。
この認識は、20世紀後半に至って、ようやく人類が全世界的に到達した認識である。
それは、1960年「アフリカの年」に国連総会で採択された「植民地独立付与宣言」に象徴的に示されている。
学問研究においても、植民地問題を対象にすえる際は、この認識をつらぬかなくてはならない。
この認識をつらぬくために欠かせないことは、植民地化「される」側の視点に立つことである。
外国人に支配され、人間的・民族的誇りを打ち砕かれる側に立ち、想像力によってその痛みを共有することである。
この視点と想像力を失ったとたんに、植民地論は「植民地政策論」ないしは「植民地経営論」にすり変わる。
つまり、遅れた未開の人々を文明化するためには文明国の手助けが必要であり、そのためには現地の人々に代わって文明国が統治を引き受けるのが有効かつ近道だ、といった類の「植民地正当化論」「植民地合理化論」だ。
「伊藤は……韓国は独力では独立を維持するのが困難だと判断した。そこで……日本の強い指導と援助の下で韓国の近代化を達成し、日本の安全保障と韓国の独立を保持しようとした」
この論理はまさしく「植民地合理化論」の論理にほかならない。
そしてこの「植民地合理化論」に立っていたとして伊藤博文を再評価する伊藤之雄氏もまた、この「植民地合理化論」に立っているということだ。
戦争の問題を考えるときは、戦争のもたらす惨禍のことを常に念頭に置くこと。
同様に、植民地問題を論じるさいは、常に植民地化「された」側からの視点を忘れないこと。
この基本的な構え・スタンスを失ったとき、その戦争論は、学問研究の形をとりながら戦争を認める側・戦争を「する」側の戦争論となり、その植民地論は植民地化「した」側の植民地論となる。
私の目には、学問の「退廃」の始まりと映る。
ところがこれは、伊藤之雄氏ひとりの問題ではなかった。
伊藤氏の翌日、毎日新聞夕刊に掲載された月脚達彦氏の寄稿の中にも、次のような一節が書かれていたのだ。
「近年、日本近代史研究者の間では統監伊藤は韓国併合推進論者ではなかったとする評価が優勢になりつつあり、朝鮮近代史を専門とする筆者も、伊藤の保護国支配に対する大韓帝国側のさまざまな対応を見る中で、そうした評価を基本的には受け入れている」
この国の学問(歴史学)の世界で、何か恐ろしいことが起こりはじめているのではないか? 不安はひろがるばかりである。
■ ウソと事実の見分けがつかないマスコミ
不安は学界だけではない。
伊藤氏につづいて月脚氏に寄稿を依頼した毎日新聞にも問題を感じないわけにはいかない。
日本による「韓国併合」は、東アジア近代史上の画期的な事件の一つである。
その「韓国併合」について、従来は伊藤博文がその主役と見られてきた。
ところが近年、そうではなく、伊藤は韓国の独立を保持しようとしていたのだ、という説が出てきた。その代表が伊藤之雄氏で、続いて登場した月脚氏も同じ新説の持ち主であった。
毎日新聞は、どうして伊藤を弁護する新説の持ち主をつづけて起用したのか?
なぜ、それと対立する従来学説の研究者を登場させなかったのか?
新説と従来学説、その両方を読者に示して判断材料を提供するのが、課題・論題設定の役割を持つ公共財としての新聞のやり方ではないか?
今回の寄稿者設定で客観的な印象として残るのは、毎日新聞もまたこの新説を支持しているらしい、ということである。
毎日だけではない。
NHKも今年4月18日、「韓国併合への道」という1時間番組を放送したが、そこで中心的コメンテーターとして画面に登場していたのが、この伊藤之雄氏だった。NHKも、この新説を採用したわけである。
NHKはまた、昨年暮れ、スペシャルドラマ「坂の上の雲」の第1部を放送したが、その中では伊藤博文を「臆病なほどの平和主義者」として描いていた。
そしてこのドラマの中、伊藤は、戦争が終わった後、憂い顔で「わしらは何のために清国と戦(いくさ)をしたんじゃ」と自問するのである。
冗談じゃない。伊藤はこの日清戦争時の首相であり、戦争に勝った後は下関で大日本帝国の全権として日清講和条約に調印するが、その第一条には、これまで宗主国であった清国の朝鮮に対する影響力を完全に排除するということが宣言されていた。
つまり日清戦争は、初めから、朝鮮の支配権をめぐる戦いだった。そして日本が勝利をおさめ、清国と朝鮮の何百年にもわたる宗属関係を断ち切り、清国を朝鮮から駆逐したのである。
さらにその10年後、先に述べたように日露講和条約でロシアを駆逐して、日本は韓国の独占的支配権を確保、統監となった伊藤が実質的植民地化を実現したのである。
このように、韓国・朝鮮の支配権の確保については、終始、大日本帝国の先頭に立った伊藤が、NHKスペシャルドラマの中では、「わしらは何のために清国と戦をしたんじゃ」とまぬけなことを述懐したのである。
学界では、歴的事実から見て明らかに問題があると思われる新説が優勢を占めつつあり、何もわからないマスコミはその新説に面白そうだと飛びつき、歴史事実を無視したとんでもない人物描写に何の疑問も抱かない。
ウソと事実の見分けがつかなくなってしまったのである。
この国はどうなるのだろうか。
若い市民のための新パンセ(2010年06号)より
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梅田正己さん書き下ろしの自著『「市民の時代」の教育を求めて』を自社から出版
「韓国併合」100年を問う
「韓国併合」100年を問う
開催概要 名称:「韓国併合」100年を問う
日程: 2010年8月7日(土)10:40~17:30
2010年8月8日(日)10:00~17:50
場所:東京大学弥生講堂一条ホール
(東京都文京区弥生1-1-1 東京大学農学部内)
http://www.rekihaku.ac.jp/research/list/inter/2010/symposium2010.html
主催:国立歴史民俗博物館
共催:「韓国併合」100年を問う会
後援:岩波書店、朝日新聞社
開催主旨
国立歴史民俗博物館では、今年3月に第6展示室(現代)をオープンしました。そのなかの重要なテーマの一つが韓国併合と植民地の問題です。韓国併合が合法的なものであった否かを含めた、併合過程そのものについての歴史的評価、あるいはその前提にある日本と韓国の「近代」のありかたについての考え方をめぐって研究者の間でも議論が分かれています。わたしたちは、展示した「もの資料」をめぐる新たな議論が喚起されることを期待し、開館以来、長年の懸案であった第6展示室(現代)を開室しましたが、事実に基づいた真摯な学術的議論を組織することで、歴史認識を異にする人々の間での交流をより豊かなものにしたいと考えています。
スケジュール
8月7日(土)10:40~
開会挨拶: 平川南(10:40)
趣旨説明: 宮嶋博史(10:50)
講演: 中塚明(11:00~12:00)
歴史をもてあそぶのか―「韓国併合」100年と昨今の「伊藤博文言説」
セッションI : 近代の東アジアと「韓国併合」(13:10~15:10)
問題提起:趙景達/報告:村田雄二郎・柳沢遊・見城悌治・具仙姫
セッションII : 日本の朝鮮植民地支配(15:30~17:30)
問題提起:李成市/報告:水野直樹・松尾尊兊・川村湊・尹海東
8月8日(日)10:00~
セッションIII : 戦後日本と植民地支配の問題(10:00~12:00)
問題提起:和田春樹/報告:宋連玉・内海愛子・大門正克・中村政則
セッションIV : 歴史認識の問題(13:00~15:00)
問題提起:宮嶋博史/報告:岸本美緒・安田常雄・成田龍一・辛珠柏
特別セッション: 世界史の中の「韓国併合」(15:20~16:40)
報告:梅森直之・山本直美・石田憲・永原陽子・粟屋利江・久留島浩
全体討論: (16:50~17:50)
司会:小島潔
閉会挨拶: 安田常雄
備考 事前申込は不要です。直接、会場へお越しください。
その他のお問い合わせは、
国立歴史民俗博物館 研究協力課 国際交流係
e-mail:kokusai-e@ml.rekihaku.ac.jp
へお願いします。
韓国併合と在日の歴史討論 - 中国新聞
韓国併合の歴史や問題について理解を深める「広島の『在日』を考える集会」が10日、広島市南区の市留学生会館であった。市民グループの代表者などがパネル討議し、歴史を学ぶ重要性を訴えた。
中国新聞 '10/7/11
【写真説明】韓国併合の歴史やその後の人権問題などについて話し合った集会
在日コリアン人権協会広島の呉成徳(オ・ソンドク)さんを進行役に3人がパネリストを務めた。「広島の強制連行を調査する会」の内海隆男さんは、朝鮮半島も戦場になった日清戦争で広島市が拠点になった点など、広島と併合の関連性を指摘。中国新聞社文化部の伊東雅之記者は「関心を広める報道や研究を地域でもっと進めるべきだ」とした。
在日本朝鮮人被爆者連絡協議会の李実根(リ・シルグン)会長は、原爆投下に至る戦争の歴史に触れ、強制連行されていた多くの朝鮮人も被爆したとし、「同じ過ちを繰り返さぬよう歴史を知る必要がある」と強調した。
7・25新宿パレード 韓国強制併合100年 植民地支配の清算と平和な
未来を
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/b9d1bc49cfcc4f0be60695d7b7d94be7
8月22日には豊島公会堂(東京・池袋)にて「植民地支配を清算し、
平和と共生の東アジアを! 8・22日韓市民共同宣言大会」の
開催を予定しています。これにあわせて、日韓の国会議員による
共同声明も検討されています。
今も未解決の諸問題を広く社会にアピールするために下記の
パレー ドを行います。日本軍「慰安婦」問題、戦時強制動員、
関東大震災時朝鮮人虐殺、高校授業料無償化における朝鮮
学校除外問題など、テーマごとにグループをつくり、仮装や装飾、
プラカード、音楽などでそれぞれの課題を表現しましょう。
とき:2010年7月25日(日)
14時街頭宣伝
15時パレード出発(約1時間)
場所:新宿東口アルタ前広場
主催:「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会
連絡先:東京都新宿区高田馬場3-13-1-B1 ピースボート事務局
TEL:03-3363-7561, FAX:03-3363-7562
日韓併合条約「無効宣言」を 韓国議員、菅首相に建議文
【ソウル=牧野愛博】韓国国会(定数299)の与野党議員75人が23日、菅直人首相に対し、100年前の8月に結ばれた日韓併合条約を「当初から無効」と宣言するように求める建議文を発表した。「1995年の村山首相談話を超える、画期的な決断を下されるように望む」とした。
日本政府は同条約について「当時は合法的に締結されて有効だった」との立場だが、韓国には、日本の主張に対する不満が根強く残っている。
日韓併合100周年を迎え、韓国では最近、日本統治時代の戦争被害者らに対する新たな謝罪や補償を求める動きも活発になっている。2010年6月23日18時34分 asahi
http://www.asahi.com/international/update/0623/TKY201006230311.html
10/07/04
イベント:韓国強制併合から100年・植民地支配の清算へ 他
韓国強制併合から100年・植民地支配の清算へ
日時 : 2010年7月10日(土) 18時半~
会場 : 大阪・ドーンセンター中会議室(京阪・地下鉄「天満橋」駅下車東へ10分)
講演 : 「ねつ造だった? 併合条約」
講師 : 戸塚悦朗さん http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20070326.html
主催 : 在韓軍人軍属裁判を支援する会
日本製鉄元徴用工裁判を支援する会
共催 : 韓国併合100年市民ネットワーク
──────────────────────────────────
日時 : 7月10日(土)
国際シンポジウム 新国際協調主義時代における東アジアと朝鮮半島 10時~18時半、京都市・立命館大学朱雀キャンパス大講義室(二条駅)。無料。報告・野中広務(元内閣官房長官)、浅井基文(広島平和研究所所長)、遠藤哲也(元日朝国交正常化交渉日本政府代表)。立命館大学コリア研究センター(075・466・3264)
──────────────────────────────────
7月10日(土)14時半(開場14時)~16時半
東京都・あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)会議室B(地下鉄東池袋駅)
参加費 1000円(学生500円、中学生以下無料)
問合せ 03・3837・2820、Mail jinken94@yahoo.co.jp
主 催 在日朝鮮人・人権セミナー/在日本朝鮮人人権協会 協賛 『週刊金曜日』
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日時 : 7月10日(土)
フォーラム 植民地主義と女性 13時半~17時半、江東区東大島文化センター(地下鉄東大島駅)。資料代500円。問題提起者・津島佑子、朴裕河ほか。11日(日)13時半~14時45分、講演会「<満州国>研究の半世紀」、講師・呂元明。植民地文化学会(047・381・4595)
安川寿之輔・名古屋大学名誉教授 講演
2010/7/3(土) 14:00~16:00(開場13:30)
場所 勝楽寺 東京都町田市原町田3-5-12 地図・アクセスマップ
? 戦争中毒のアメリカとどこまでつきあうの わたしたち・・・
ーアメリカの構造的戦争国家体質ー ←オバマでも変えられない
◆話し手 安川寿之輔さん
名古屋大学名誉教授/ 「不戦兵士・市民の会」副代表理事
◆参加費 前売り 800円 当日 1000円
詳細は 「九条・まちだ」参照
2010年7月5日(月) 靖国・天皇制問題情報センター
場所:カトリック熱田教会「名古屋働く人の家」
名古屋市熱田区伝馬2-28-14
宿泊:名古屋働く人の家
交通:地下鉄名城線「伝馬町」駅下車
AM10時~12時 講演:「福沢諭吉の天皇制論と丸山真男」
講師:安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)
参考文献『福沢諭吉と丸山真男-「丸山論吉」神話を解体する』(高文研)
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論一新たな福沢美化論を批判する』(高文研)
12時~13時半 安川さんを囲んで質問・討論・昼食・懇親会
FAX 03-3207-1273 Mail : news@iya-ten.net 靖国・天皇制問題情報センター
日時:
7月11日(日)13:00受付 13:30開始
場所:名古屋市教育館 第8研修室(地下鉄栄駅下車3番出口北へ徒歩すぐ)
次の記事参照
日時:
7月19日(月、祝) 11:10 ~ 12:30 会場(椙山女学園中高)
北斗館2F232教室中学中教室
第22回愛知サマーセミナー
福沢諭吉とNHKドラマ「坂の上の雲」
【講師】 安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)
講座の紹介 :NHK「坂の上の雲」は「明るい明治」を代表する諭吉『学問のすすめ』の思想の大ウソで始まります。彼が実はアジアへの蔑視と侵略の先頭に立ち、天皇制軍国主義の「暗い昭和」の思想的先駆者であった事実を解明します。
第22回愛知サマーセミナーは、7月17日(土)~19日(月・祝)の3日間、名古屋市千種区にある椙山女学園と覚王山エリア一帯で開催します。
参照1 参照2
7月31日(土)14時40分から16時30分
会場;名古屋市公会堂
講 演:
「韓国併合・大逆事件」100年と「坂の上の雲」
─福沢諭吉の見直しを通して─ 安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)
本件は2010年歴史教育者協議会 第62回全国大会愛知(7/31~8/3)の一部であり
詳細は
「歴史教育者協議会 」HPをご覧ください。
大会参加費は教員6000円、学生・父母が2000円ですが安川先生の講演だけ(あるいは31日午後の全体会のみ)に参加したい方は安川先生関係者として安川先生に直接か
HP管理人に申し込まれるのが良いと思います。
10/07/03
イベント: 安川寿之輔氏「韓国併合・大逆事件」100年と「坂の上の雲」
-「暗い昭和」につながる「明るくない明治」-
講師 安川寿之輔さん
(名古屋大学名誉教授,不戦兵士・市民の会東海支部代表;教科書市民の会共同代表)
日時:7月11日(日) 13:00受付 13:30開始
場所:名古屋市教育館 第8研修室(地下鉄栄駅下車3番出口北へ徒歩すぐ)
資料代:500円 主催:不戦兵士・市民の会東海支部
後援:子どもたちに「戦争を肯定する教科書」を渡さない市民の会
1910年明治政府は、韓国併合と呼んで韓国を植民地にするとともに、明治天皇暗殺計画という口実で幸徳秋水ら12名を絞首刑にした「大逆事件」によって社会主義運動を圧殺しました。それから100年、私たちが過去の日本の戦争責任と植民地支配責任に向き合うことが求められている時期に、NHKは「明るい明治」を描き出す<坂の上の雲>の3年間放映を開始しました。
テレビドラマは、いきなり福沢諭吉「学問のすすめ」についてのウソではじまりました。小説では、日清戦争の不義を象徴する朝鮮王宮占領・旅順虐殺事件・閔妃暗殺等が隠されています。
そして、福沢諭吉もこれらの事実を隠蔽し、日清戦争を賛美する報道を行い、さらに新聞の論説で、将来の韓国併合の道のりを予告しました。
福沢諭吉の虚像と<明治前期「健全なナショナリズム」対昭和前期「超国家主義」>という丸山眞男の史観を踏襲した司馬遼太郎の<「明るい明治」と「暗い昭和」>の図式によって、日本近代史像は歪められてきました。
今回のドラマ放映により、この歪みは固定化・増幅する危険があります。
今回の講演では、福沢諭吉のとらえ直しによって、「明るい明治」の虚構をえぐり出し、「明るくない明治」こそが、「暗い昭和」につながった日本近代史像の真実を明らかにします。 10/07/08
入不二基義『相対主義の極北』を読んで: 醍醐聰のブログ
入不二基義『相対主義の極北』を読んで(1): 醍醐聰のブログ
入不二基義『相対主義の極北』を読んで(2): 醍醐聰のブログ 10/06/28
「福沢諭吉の視点から柳宗悦の視点へ」
全国の先生方の「歴史教育」への取り組みの一端を紹介します。
● 日本の学校との出会いを求めてー民族を紡ぐ教育
● 主題学習「19世紀後半、日本人のアジア観」
● いま,なぜ,世界史か
また
雪の朝ぼくは突然歌いたくなった―浅い現実主義と深い理想主義 の中にある
「福沢諭吉の視点から柳宗悦の視点へ―日朝関係史のバクロ型授業を乗り越える試み」を著者:目良誠二郎氏と「歴史教育者協議会」の許可を得て転載します。
PDF
歴教協ホームページ
2010 年
歴史教育者協議会 第62回全国大会愛知 Web申込み 7/31~8/3
第9回
日韓歴史シンポジウム に参加しよう 8/11~8/16
「韓国併合」100年
東学農民軍の戦跡を取材するたび5日間 8/12~8/16
第 34回
歴教協ヨーロッパの旅 ご案内(PDF) 8/15~22
10/06/28
「日本と朝鮮半島の交わり、その古代と現代」中塚明氏講演
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講演を行う中塚明氏
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「日本と朝鮮半島の交わり、その古代と現代」と題する講演会が12日、東京・千代田区の中央大学駿河台記念館で行われた(主催=中央大学コリア同窓会)。
講演会ではまず、「近代における日本と朝鮮半島・『韓国併合』を考える」とのテーマで中塚明・奈良女子大学名誉教授が講演した。 全部読む 10/06/24
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☆「倉敷市革新懇第19回総会・記念講演」:中塚明さん
中塚明講演「朝鮮半島と日本の過去と現在」 - 再出発日記
日清戦争のきっかけになった東学党蜂起の本当の意味を日本人はほとんど知らない。この運動は3.1独立運動を経て現代の民主主義運動に連なっている。金大中の1980年黄土峠(ファントジ)の集会は東学党の初勝利の場所である。
なぜ「坂の上の雲」か - 再出発日記 10/06/08
小山ひろみち通信: 戦後処理問題、大きく動き出す
福沢諭吉と中江兆民 吉田 傑俊 (著) (近代日本思想論Ⅰ)
福沢諭吉と中江兆民―「近代化」と「民主化」の思想
吉田 傑俊 (著) (近代日本思想論Ⅰ) 大月書店
(4)アジア論──アジアをどうみるか (242ページ)
ここに、福沢と兆民のアジア観を端的に示す二つの証言がある。
「我輩十数年前、毎度外国に往来して欧米諸国在留のとき、動(やや)もすれば彼の国人の待遇厚からざるに不愉快を覚へたること多し[・・・]当時我輩は此有様を見て独り心に謂らく、印度支那の人民が斯く英人に窘めらるるは苦しきことならんが、英人が威権を檀にするは又甚だ愉快なることならんとて、一方を憐むの傍らに又一方を羨み、吾も日本人なり、何れの時か一度は日本の国威を耀かして、印度支那の土人等を御すること英人に傲うのみならず、其英人をも苦めて東洋の権柄を我一手に握らんものをと、壮年血気の時節、竊(ひそか)に心に約して今忘るゝこと能はず」(「東洋の政略果して如何せん」、四三六~四三七頁)。
つぎに、兆民のアジア観を「論外交」にみよう。
「吾儕かつて印度海に航してポルトサイド、セイゴン等の諸港に碇泊し岸に上りで街衛に逍遥せしに英法諸国の氓、此上に来るもの意気傲然として絶へて顧慮する所なく、その土耳古人もしくは印度人を待つの無礼なることかつて犬豚にもこれしかず[・・・]土耳古、印度の人民もまた人なり、我れの文物制度果して豊備整斉にして人世の美をなすに足るや、世の蒙昧の民を見るときは宣く循々然としてこれを導いて、徐々にその文物制度の美を昧ははしむべし。これ固より天の先進の国民に命ずる所の職分なり」(一二二~一二三頁)。
この二つのアジア観をみるとき、直ちに気づくのはその視線の高低である。福沢も兆民も同様の状況にあって、西洋文明国による福沢いうところの「下流の未開国」やその国民への傲慢で非人間的な扱いに「不愉快」や怒りを感じている。しかし、問題は、両者がこの状態がどこに淵源し、どのように解決すべきと捉えているかということにある。
福沢は、イギリス人が印度人や中国人に対し行う非人道的行為を「苦々しい」こととするとともに「愉快」なことともみている。なぜ、そのようにみれるのか。このような事態は、福沢の文明観によれば、「文明」と「未開」または「半開」との一種必然的結果とみなしえる。文明(国人)は進歩で正義でありその結果強力であるかぎり、「未開」または「半開」(国人)はそれに従属しなければならない運命となる。それが歴史的進歩を意味することであり、ゆえに福沢は、日本自身が欧米諸国並みの文明国となり、印度・中国さらに西欧を支配するような位置を望む。ここには、彼がタテマエ的に述べた「一視同仁四海平等」さえ今はいっさいなく、アジアの「半開」国から抜け出て「文明」国すなわち帝国主義国によじ登ろうとする、「権道」に徹した野心だけが見出せる。
他方、兆民のアジア観の特徴はどのようなものか。
兆民は西洋人のトルコ人やインド人への無道な行いにむろん怒りを募らせている。しかも、その怒りは文明の程度によって左右されない「人」としての平等観におかれており、さらに文明とは何かという問いに繋げている。兆民によれば、文明とは文物の制度が豊かに具わるだけではなく「人世の美」を実現するものでなければならない。つまり、文明は自由や平等を実現するべきものということであろう。さらに重要なことは、兆民が、文明先進国は後進国を支配するのではなく、その使命は当然のこととして「半開」国(人)を文明国(人)へ導くことにあると指摘していることである。
さて、福沢と兆民のこのアジア観は見事な対照を示している。そして、この対照はその後も増幅しつつ継続する。一方は、帝国主義路線として、他方は「小国主義」としてである。
福沢の帝国主義路線を「日清の戦争は文野の戦争なり」に再度確認しておこう。
「戦争の事実は日清両国の間に起りたりと雖も、其根源を尋ぬれば文明開化の進歩を謀るものとその進歩を妨げんとするものとの戦いにして、決して両国間の争に非ず。[・・・]世界の文明進歩の為に其妨害物を排除せんとするに多少の殺風景を演ずるは到底免れざる[・・・]。」(四九一~四九二頁)。
みられるように、ここにあるのは文明の名のもとにおける戦争肯定である。福沢はこうして、西洋帝国主義、大国主義を容認しその路線をアジアにおいて断固として追走したのである。
他方、兆民の「小国主義」はすでに引いた「論外交」にある。彼はここでまず「富国強兵」路線に反対し、「富国」(貨物豊章)と「強兵」(不仁の器)は、「専ら経済を重んずるときは多く兵を蓄ふるを得ず、専ら武を崇ぶときは多く貨財を殖するを得ず」ために、「天下の最も相容れがたきこと」(一一三頁)とした。つまり、隣国交際に強兵が用いられるのは「隣国交際の道」が確立していないことにある。欧州諸国の形勢をみるとき、「彼れもまた自ら奮張して宇内第一の文明国と称し、亜細亜地方の人民を視るときは蛮野国防を以てこれを軽蔑するの意あり」(一一六頁)と危険視したうえで、なお敢えて小国主義の採用を説く。
「顧ふに小国の自ら恃みてその独立を保つ所以の者は他策なし、信義を堅守して動かず、道義のある所は大国といへどもこれを畏れず、小国といへどもこれを侮らず。彼れもし不義の師を以て我れに加ふるあるか挙国焦土となるも戦ふべくして降るべからず。隣国内乱あるも妄りに兵を挙げてこれを伐たず。いはんやその小弱の国の如きは宜しく容れてこれを愛し、それをして徐々に進歩の途に向はしむべし。外交の道唯これあるのみ」(一二四頁)。
ここには、小国たる日本が独立を維持するには「信義」と「道義」において大目に接すること、しかし大国が不義を働くときには自国が「焦土」となっても防衛戦を闘うこと、とはいえ隣目には挙兵などせずとくにそれが弱小国の場合には、これを愛し徐々に進歩に向かわせるとしている。この論文が「壬午事変」直後の執筆という点にとくに意義があるだろう。
兆民の小国主義は、さらにその代表作『三酔人経綸問答』に継続して発展する。
「文明の進歩におくれた一小国が、昂然としてアジアの端っこから立ち上がり、一挙に自由、博愛の境地にとびこみ、要塞を破壊し、大砲を鋳つぶし、軍艦を商船にし、兵卒を人民にし、一心に道徳の学問をきわめ、工業の技術を研究し、純粋に哲学の子となったあかつきには、文明だとうぬぼれているヨーロッパ諸国の人々は、はたして心に恥じいらないでいられるでしょうか。もし彼らが頑迷凶悪で、心に恥じいらないだけでなく、こちらが軍備を撤廃したのにつけこんで、たけだけしくも侵略して来たとしても、こちらが身に寸鉄を帯びず、一発の弾丸をも持たずに、礼儀ただしく迎えたならば、彼らはいったいどうするでしょうか。剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くとも、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。[・・・]小国のわれわれは、彼らが心にあこがれながらも実践できないでいる無形の道義というものを、なぜこちらの軍備としないのですか。自由を軍隊とし、艦隊とし、平等を要塞にし、博愛を剣とし、大砲とするならば、敵するものが天下にありましょうか」 (一四~一五頁、一二三~一二四頁)。
兆民のこの小国主義は、福沢のアジアでの大国主義=帝国主義路線への見事な反論になっている。さらに、それは自己の「文明」を誇りつつ、弱小国への侵略を行う西洋の文明大国への厳しい道義的批判をなしている。すなわち、文明大国はその巨大な文明の力に依存しそれを維持しようとするために、「無形の道義」を実践できず侵略を実行する。この大国主義に対抗するには、その矛盾を逆用するべきことになる。ゆえに兆民はかつての防衛戦争論をも否定し、無防備・無抵抗の観点を徹底する。この兆民の西洋文明批判は、福沢のように未だ不十分な要素があるという類の「必要悪」的批判ではなく、弱小国への侵略戦争を必然化せざるをえない本質的問題の摘出にもとづくものだったのである。 10/06/19
司馬遼太郎記念学術講演会 「近代日本の原風景」山内・天野氏
対談する山内昌之さん(左)と天野祐吉さん
詳報:産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)
http://www.sankei-kansai.com/2010/07/06/20100706-041009.php
□東京大学教授 山内昌之氏 ◆失われた武士のリアリズム
□コラムニスト 天野祐吉氏 ◆想像力を鍛える写生の文学 10/06/20
「村山談話」の主人公、韓国を訪問
http://2chsearch.jp/news4plus/1276087398/
「韓日知識人共同声明は真実だと確信している」。村山富市元首相は「歴史の真実」を強調した。 5月 10日に韓日知識人およそ200人が「韓日併合の源泉無効」を発表した共同声明には歴史の真実が込
められた、と述べた。 10/06/16
ニューズレター第19号を発行_NHKを監視・激励する視聴者コミュニテ
ニューズレター第19号を発行しました。
PDFダウンロード
10/06/15
1頁: 放送法改正案に関する勉強会(記者会見) 2頁: 放送法改正案の慎重審議を求めます
3頁: 放送の自主自律と逆行する放送法改定条項の削除を! 4頁: 新経営委員長の選出にあたっての要望書 『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』 5-6頁:日韓知識人共同声明 7-8頁:日本と朝鮮半島 第一回「韓国併合への道」を見て |
「韓日併合は源泉無効」韓日知識人声明の意義
京郷新聞 「和田春樹コラム」より
「韓日併合は源泉無効」韓日知識人声明の意義
和田春樹(東大名誉教授)
韓国併合100年に日本国民に対して併合についての歴史認識の共有を求め、日本政府に対しては、併合についての新たな認識を示す態度表明を求めるために、知識人の共同声明を出す必要があるという考えは昨日今日の話ではない。
私はその考えを最初に高崎宗司(津田塾大学教授)、水野直樹(京都大学人文科学研究所所長)の両氏と話した。というのは、この二人は1991年8月29日の日本と北朝鮮の歴史家の共同声明を出したときの共同推進者だったからである。さらに戦後補償問題で重要な役割を果たしてきた元老歴史家荒井信一(日本の戦争責任資料センター共同代表)氏といくどか話した。氏とは2001年に日韓歴史学会共同シンポジウム、共同声明を一緒に推進したことがあり、その後韓国併合についての国際共同研究を主導された氏と私は2009年に韓国東北亜歴史財団のシンポジウムに一緒に協力したことがあった。荒井氏は歴史学会の連合で準備したらいいというご意見で、歴史学研究会と話してみようといわれた。
その後宮嶋博史(成均館大学)、李成市(早稲田大学)、趙景達(千葉大学)の三氏と私が「韓国併合100年を問う歴史家の会」を組織して、『思想』の特集号(2010年1号)を出すことになった。私はこの人々、とくに宮嶋氏と相談し、歴史家の共同声明について支持をうけた。2009年秋になって、日本では政権交代がおこり、鳩山内閣が誕生するに及んで、政府に働きかけるあらたな可能性がうまれた。私はある種の希望をいだき、そのことを『京郷新聞』のインタビューで語った。
そうこうしているうちに、昨年の12月、かって2003年に「東北アジアの平和を求める日韓市民共同声明」を一緒に推進したことがある韓国のユハン工科大学学長金泳鎬氏より、韓国の知識人の集まりで、併合100年で日韓知識人の共同声明を出すことはできないかという話が出た、和田の意見を聞いてみようということになったので、連絡するという電話があった。私はやや当惑した。日本人の歴史家声明を出すのでも、意見を一致させるのが容易ではないのに、果たして、この日韓共同の声明が可能だろうか。しかし、韓国の側から、よびかけを受けた以上、われわれとしてはその好意に応え、最大限の努力を払って、共同声明の可能性を追求する義務があると判断した。
戦後補償·日朝国交正常化の明記
やがて金泳鎬氏が来日され、私は『世界』編集長の岡本厚氏と一緒にお目にかかった。その折り、
1 併合が長期にわたる日本の侵略の結果、強制されたものであるという認識、
2 併合条約がその強制された過程を自発的な合意によってなされたと偽るのは不当であるという評価、そして、
3 併合条約の無効を宣言した日韓条約第二条の解釈の分かれは韓国側の解釈を採用することによって統一する外ないという結論――この三点を声明の骨子とすることで合意が生まれた。
これで私は確信をもつことができ、本年1月に入って、もとめに応じて、声明の最初の案を用意した。その後韓国側から、基本的に支持できるが、さらに検討して書き直し、韓国案として送り返すという返事があった。韓国側案が送られてきたのは2月12日である。
日本側では、歴史家を中心に、さらに坂本義和氏(東大名誉教授)にも発起人をお願いし、二つの文案の検討をしていただいた。そのさい、会合での討論でも、メールでも、論議された第一の点は、併合条約が無効だということになると、併合が成立しないということになるのかという点であった。
この点は1998年に『世界』誌上での李泰鎮教授と海野福寿教授が論争したさい、のりこえられずに終わった論点であった。このたびは、併合条約が源泉的に否定さるべきものだという韓国側の理解をうけいれるとして、併合が成立しなかったとは見ることはせず、併合は1910年8月29日に日本政府によって宣言され、現実のものとなったと述べることにしたのである。
第二の論点は、併合が不義不当だとあらためて認めるなら、償いの問題など、残されている問題があることを具体的に明記し、解決の意志を表明すべきだという点であった。この点はすでに90年代はじめ以来、韓国側の運動団体の要求、日本政府の検討があり、複雑な経過がある、歴史問題の声明で簡単に提起できる域をこえているという判断があったが、日本側の発起人の要望は強く、関東大震災時の虐殺、強制動員労働者、慰安婦問題がふくめられ、北朝鮮との国交正常化問題も含められた。独島=竹島問題もそれと明記せずに含められた。このような修正点をもりこみ、日本案と韓国案を統一した統合案をつくり、韓国側へ送った。韓国側は、多くの討論をへて、原則的な合意をつくり、日本側の提案にいくつかの表現上の修正を提案した。これらはすべて受け入れられた。
すでに述べたように、加害国日本と植民地にされた朝鮮の側の知識人が併合条約について共同声明を出すのは今回がはじめてではない。1991年8月の声明「日朝両国の歴史家は声明する」は日本人歴史家10名と金錫亨、朴時亨氏ら北朝鮮の歴史家10名が署名して発表された。私が91年のはじめに訪朝したときに朝鮮社会科学者協会に提案して、同意をとりつけて帰り、日本で用意した声明文に日本側の署名をつけて、その年春に高崎宗司氏が平壌にもっていき、朝鮮側の署名をえたのだった。日朝交渉がはじまった中で交渉を助ける意図をもって急ぎ企てられた声明である。
そこでは次のように指摘していた。
「併合条約は、条約という形をとり、いかにも『両者の完全な意思、平等の立場において締結された』かのように装っていますが、実際は、日本が武力を背景にした脅迫によって、大韓帝国の国権を段階的に奪い取っていった過程を完成するもので、その本質は武力によって強制された併合に外なりませんでした。」
「韓国併合条約は、日本の韓国併合、朝鮮植民地支配をいかなる意味においても正当化しえないものと認められなければなりません。」
その一九年前の最初の試みと比較すれば、今回の声明は、はるかに濃密な討論にもとづいて、より豊かにされた内容をもつものになったと言うことができる。今回の声明は次のように指摘している。
「韓国併合は、この国の皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された、文字通りの帝国主義の行為であり、不義不正の行為である。」
韓国併合条約においては、「力によって民族の意志を踏みにじった併合の歴史的真実は、平等な両者の自発的な合意によって、韓国皇帝が日本に国権の譲与を申し出て、日本の天皇がそれをうけとって、韓国併合に同意したという神話によって覆い隠されている。前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる。かくして韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である。」
来月署名を両国政府に提出予定
「併合の歴史について今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや(日韓条約第二条の)日本側の解釈を維持することはできない。 併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである。」
今回の声明には、韓国では重要な新聞すべての主筆、社長が発起人に加わった。日本では署名者の主力は歴史学者であり、それに、鶴見俊輔、大江健三郎、沢地久枝、坂本義和氏をはじめ、日韓、日朝関係に真剣な関心をよせてきた人々が加わった。注目すべきは、日韓歴史共同研究委員会(第一次)の日本側、韓国側の責任者であった三谷太一郎、趙東杰両氏がともに署名したことである。
声明はソウルと東京で同時に発表された。ソウルの記者会見には日本側発起人の宮嶋博史成均館大教授が、東京の記者会見には韓国側発起人の金昌禄立命館大学客員教授が出席した。
日本では朝日、東京、共同、ジャパンタイムスが報じてくれたが、小さな扱いであった。これに比べて、韓国では、京郷新聞、東亜日報、ハンギョレ、中央日報が第一面で報じ、東亜はさらに第二、第三面のすべてをこの声明の記事にあてた。ハンギョレも第四面のすべてをこの声明の記事にあてた。朝鮮日報をふくめ、全紙が社説で取り上げている。併合一〇〇年の年にみるこの日韓の報道の落差はあらためて、問題の現実性をわれわれに気づかせてくれた。韓国人にとって、併合はまさに最大の不幸であるのだが、日本人にとっては、過去に犯した罪の一つにすぎないと考えられているのである。この落差が埋められないと、本当の意味での日韓の和解はないのである。
両国の発起人は、署名を六月末までにそれぞれ五〇〇人に増やして、七月には両国政府に提出しようと考えている。日本の鳩山総理は沖縄問題で苦悶の末辞任した。後任の総理菅直人は積極的な姿勢を示すだろう。8月になれば、日本の総理は併合一〇〇年の総理談話を出さなければならないはずである。 10/06/14
日韓知識人共同声明:和田春樹氏の経過報告 里山のフクロウさんより
和田春樹氏は、この『共同声明』を報ずる上記のマス・メディアの日韓の落差が、「あらためて問題の現実性をわれわれに気づかせてくれた」と指摘しています。
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【社説】韓日知識人「韓日併合は源泉無効」中央日報 2010.05.11
昨日発表された「韓国併合100年に臨んだ韓日知識人共同声明」を読んだ多くの韓国人は「韓日併合条約は当然源泉無効ではないか」と思ったはずだ。当然の事実をどうして敢えて声明で発表するのか怪しげにもみえる。しかし共同声明を作成する過程で、条約の不法・無効可否をめぐり異見を見せた一部の日本知識人たちが署名を撤回することが起こったという事実も落としてはならない。こんな大きな認識差がまさに韓日関係の厳然な現実だ。第2期韓日歴史共同研究会も強制併合の不法性問題は論議の対象になることもなく3月の活動を終えた。
両国知識人それぞれ100人が参加した共同声明の意義はそれでなお引き立つ。今年に入っても日本では枝野幸男行政刷新相が「朝鮮半島(韓半島)が植民地として侵略されたことは歴史的必至」とし、民主党政権初の「妄言」として記録され、石原慎太郎東京都知事も「韓日強制併合は韓国が選択したこと」とまた騒いだ。一方、昨日の共同声明は併合条約に対し「前文も偽りで本文も偽りだ。手続きと形式にも重大な欠点と欠陥を見せている」とし「併合に至った過程が不義不当なように併合条約も不義不当だ」と主張した。特に1965年の韓日基本条約中「1910年8月22日およびそれ以前に締結されたすべての条約および協定はすでに無効」という条項を「当初より無効」という意味で見る韓国政府側解釈に同意したことは注目するに値する。間接的に併合の不法性を開明したものと見られるからだ。
我々も乙巳勒約(ウルサヌクヤク)と韓日併合条約は不法で源泉無効だと思う。国家代表者を強制して結んだ条約が無効だという国際法上の原則は2つの条約が締結された当時にもすでに慣習法として確立されていた。両国学界には条約の不法性可否に対する論難がまだ残っているが、日本政府だけは今回の共同声明の重さをそのまま受け入れなければならない。合法という既存立場を撤回してもすっきりしない上、何かにつけ妄言を吐き出す状況では韓日関係は今後もきしむだけだ。
■6・19『韓国併合』100年と教科書問題 part1
●主催 「韓国併合」100年と教科書問題を考える実行委員会
今から100年前の8月に「韓国併合」と称して日本は韓国を植民地としました。この歴史をどう受け止め何を記憶し、子どもたちに何を伝えていくのかなど、考える機会にしたいと思います。来年は中学の教科書(歴史教科書も)の新たな採択年でもあります。
日時 6月19日(土)午後2時~
場所 杉並立産業商工会館3階ホール(阿佐ヶ谷南徒歩5分)参加費 800円
●第一部 2時~4時30分
基調講演 「韓国併合」100年と教科書 講師 姜 徳相(カンドクサン)さん
滋賀県立大名誉教授
主な著書『関東大震災』(中央公論)、『朝鮮独立運動の群像─啓蒙から三・一運動へ』(青木書店)他 漫談 「坂の下はどしゃぶりだった」 作・演 樋口千鶴子さん <休憩>4時30分~5時30分 ホールに写真等展示、 韓国風軽食とコーヒー等の喫茶室開設
●第二部 5時30分~8時 尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の朗読 韓国語と日本語での朗読と解説(高麗博物館員) 『若者たちが語る!』 ─日本と韓国 今とこれから─ 発言 Walk9(日韓青年が供に100日間の韓国旅を行った)のメンバー青年九条の会のメンバー 韓国人留学生 在日コリアンの若者
主催 「韓国併合」100年と教科書問題を考える実行委員会
呼びかけ:小島政男(憲法ひろば杉並)/小関啓子(元教員)/塩谷公子(9条の会杉並)/東本久子(杉並の教育を考えるみんなの会)/ 長谷川和男(教員)/梁東準(ヌッポン統一フォーラム理事長)/ 福藤早苗(ひらかれた歴史教育の会)2010/06/04
新刊『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』
高文研新刊のご案内を申し上げます。書名は『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』です。
立ち読み
本書出版の簡単な経緯────────────編集部
中塚明先生の『司馬遼太郎の歴史観──その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』を出版したのは、二〇〇九年八月初旬でした。執筆・出版の動機は、NHKによる司馬の大作『坂の上の雲』のドラマ化の予告でした。
先生はすでに原作の発表当時、日朝関係史の研究者として、司馬の朝鮮・韓国観の独断的偏見を批判する論考を提出していました。その原作がこの国最大のマスメディアによってドラマ化され、こともあろうに「韓国併合一〇〇年」をはさんで三年がかりで放送されるのです。とうてい見逃すことはできませんでした。
同様の危機感を抱いた人たちが各地にあり、この問題を考える集会が開かれてきました。その一つ、〇九年七月一八日、京都で中島晃弁護士が中心となって、中塚先生の講演と、それを受けてのシンポジウムが開かれました。同年一一月八日、神戸でも、中塚先生の講演とシンポジウムが開かれました。三三〇人の市民が参加した熱い集会となりました。その熱気の中、会の終わり近く、中塚先生から、このドラマの危険性を広く全国規模で訴えてゆくとりくみが必要ではないかとの提言がありました。
それに共鳴して、数日後、東京から集会に参加した醍醐聰先生(開かれたNHKをめざす全国連絡会世話人)から改めてネットを通じて全国ネットワーク設立の具体的提案がなされました。
そして早くも同月二三日、京都で開かれた『司馬遼太郎の歴史観』出版記念会──そこにはドラマの主人公たちの出身地・愛媛県松山から、兵庫から、また名古屋からは
安川寿之輔先生が、東京からはもちろん醍醐先生が参加していました──において、「『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク」(http://kakaue.web.fc2.com/)が結成されたのでした。
こうした動きの中で、いつとはなく、ドラマのデマゴギーを批判し、歴史の事実を伝える本の出版が合意されていったのです。
福沢諭吉の研究者である安川先生のこの問題に対する危機感は並々ならぬものでした。福沢は日清戦争において自ら「報国会」を組織し、全国第二位の巨額の献金を行うほど熱狂し、愛国心と敵愾心を煽り立てたのでしたが、その福沢がドラマでは主人公・秋山好古の最も尊敬する思想家として描かれていたからです。
今、この時期に、「韓国併合」と密接不可分の日清・日露戦争を、近代日本の最も輝かしい青春時代としてドラマ化し放送するNHKの社会的責任についても、当然ふれなければなりません。それには、市民の立場でNHKのあり方を見つめてきた醍醐先生が適任です。
こうして、三名の筆者による共同執筆が自ずから決まったのです。
2010/06/03
(関連) 新刊案内:『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』
分担執筆した『「坂の上の雲」の歴史認識を問う』発売: 醍醐聰のブログ
「坂の上の雲」のどこが問題なのか?PDF
朝鮮王妃殺害事件の調査補遺 醍醐聡のブログより
新刊書『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』の普及に皆様のお力添えをいただけましたら、ありがたく存じます。
ご参考までに:本書の案内文書
http://www.koubunken.co.jp/0450/0443.html
「韓国併合」100年日韓知識人共同声明 署名のお願い
共同声明&署名用紙 歴史科学協議会
お願い
以上の声明は、2010年5月10日、東京とソウルで記者会見をもって発表しました。
日韓の発起人は、この声明に賛同して下さる方の署名をいただいて、署名者を双方500人づつ、あわせて1000人にすることを希望しています。その上で、本年7月に日韓両国政府に提出し、併合100年にさいしての日本総理談話を出すこと、日韓条約第2条の解釈の統一をはかることなどを要請するつもりです。
声明をお読みになって、ご賛同いただける方は、その旨を日本側発起人(文書中の*印)の誰かにご連絡になるか、下記の連絡先にご連絡下さい。(声明文(テキスト)参照) 2010/06/01
“日本固有の文化”なるフィクションを打ち砕く~
NHK「日本と朝鮮半島2000年」
放送批評懇談会が選ぶベスト番組【ギャラクシー賞月間賞】
2009年4月から、全10回にわたるETV特集「日本と朝鮮半島2000年」を観て、たくさんの未知の歴史と出会った。それは、他者を通して自らを振り返ることの反復であり、同時に新たな考古学上および歴史研究の実証を伴って、“日本固有の文化”というフィクションの虚妄性を明らかにする過程でもあった。
番組は弥生中期以降の日韓交流史を、常に東アジア全体を俯瞰する視点から考察した。だから水稲も鉄器も、漢字や仏教、さらに律令制度から暦に至るまで、生活・社会に係る大多数の事物や文化が、朝鮮半島経由で渡来したことに今更ながら感嘆させられた。
全10回を総評するのは容易でない。が、たとえば第5回、6世紀ごろには玄海灘でなく日本海ルートの“民間交流”が渤海(中国東北部)やロシア沿海州のクラスキノにまで及んでいたこと。第6回、蒙古襲来を阻んだのは“神風”よりも、朝鮮の軍事集団「三別抄」の蒙古軍への猛反撃だったこと。さらにはベトナムの蒙古軍撃退が3度目の日本襲来を断念させたこと。第8回、秀吉の7年にわたる朝鮮侵略は民衆を苦しめ、5万とも20万ともいわれる「被虜人」(朝鮮人連行)を生んだこと。日本兵も飢餓に瀕し、この出兵が豊臣政権を崩壊させたこと。第9回「朝鮮通信使」の往来が、鎖国の江戸時代に時ならぬ韓流ブームを招来したこと。そして第10回、福沢諭吉と朝鮮の若き開化派金玉均の親交は、「脱亜」の一言では片付けられぬ近代化の苦悩と可能性を孕んでいたこと等々、いわば日本の文化・政治体制を相対化し、批判する視点を提示する深い「教養」番組であったことに敬意を表したい。
番組中での地名、人名は江華島(カンファド)、李舜臣(イシュンシン)のようにすべて朝鮮語で発音された。また朝鮮語会話に堪能な大桃美代子らの現地リポートと日韓双方の学者による歴史分析にも行き届いた配慮が見えた。この番組のバトンを引き継ぐ4月以降のNHKスペシャルに期待したい。(藤久ミネ) 2010/5/30
戦争の時代に戻らぬ「韓国併合」100年歴史認識共有へ集会
「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」は15日、東京都千代田区の在日本韓国YMCAで、メーン集会「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざして―政府による戦後補償の完全処理を強く要求する」を開催しました。会場を埋める220人が参加しました。
山田朗明治大学教授・歴史教育者協議会委員長が「戦争と植民地支配の時代に戻らないために」と題して基調報告。山田氏は「日本では、日露戦争が何のための戦争だったのかの歴史認識が弱い」と指摘し、日露戦争が日本による朝鮮半島の植民地化を本格化する転機となったことを示しました。「韓国併合」100年の今年を「日清・日露戦争から太平洋戦争までを一体的にとらえて、日本の近代化の過程を再検討する機会にしなければならない」と述べました。
このあと、橋本登志子氏が相模湖ダム建設での中国人・朝鮮人「強制労働」について、吉川春子元日本共産党参院議員が日本軍「慰安婦」問題を、石橋正夫氏が関東大震災・朝鮮人虐殺事件について述べるなど7人が報告し、人権侵害を告発しました。
集会は、日本政府と衆参両院に対し、「朝鮮植民地支配に対する明確な謝罪と賠償を速やかにおこなう」ことを求めるアピールを採択しました。2010年5月16日(日)「しんぶん赤旗」
水野広徳あて黄海海戦を説明 秋山真之の書簡寄託
愛媛の弓山正路です。題記の愛媛新聞記事を紹介します。
【愛媛新聞 2010/5/22(土)9面】
松山市出身の海軍軍人秋山真之(1868~1918年)が同郷の軍人で戦記文学者の水野広徳(1875~1945年)にあてた書簡1通が21日、同市一番町3丁目の「坂の上の雲ミュージアム」に寄託された。真之が1913年に書いたとみられる手紙で、日露戦争の黄海海戦(1904年)を説明している。寄託者は同市辻町の丸岡昭三さん(81)。展示時期などは未定。 |
松山の丸岡さん 坂雲ミュージアム展示へ
書簡は、和紙に毛筆書きで縦18センチ、横59センチ、軸装済み。県職員だった丸岡さんが1965年ごろ、市内の古物商から2万円で購入した。冒頭に「八月十日合戦図改正愚見」と記し、04年8月10日に現在の中国大連市の旅順港から山東半島沖であった黄海海戦での艦船の動きなどをつづっている。戦記小説「戦影」(14年刊)執筆の際の
問い合わせへの回答とみられ、記載内容に新事実はないという。 同ミュージアム学芸員の石丸耕一さんは「2人の交流は知られているが、当人間の書簡の存在が明確になったのは初めて」と意義を話している。 丸岡さんは寄託に当たり21日、市役所に中村時広市長を訪問。丸岡さんは「みんなに見てもらえる場所に置いてほしい」と話し、中村市長は「後に反戦を貫く水野と、米国と事を構えてはならないとした真之には共通性を感じる」などとお礼を述べた。(秦俊太郎)
【写真=秋山真之が水野広徳にあてた書簡を前に、秋山らについて話す寄託者の丸岡さん(中央)や中村市長(右)ら】
10/05/23
松山観光客525万人に増09年市推計 過去10年で最多
松山市は25日、2009年に市を訪れた観光客の推定数をまとめた。過去10年で最も多い525万4千人(前年比4.1%増)で、市はドラマ「坂の上の雲」放映や高速道路の休日上限千円割引の影響とみている。
主要観光施設別では道後温泉本館・椿の湯115万5千人(1.8%増)、松山城ロープウエー・リフト93万2千人(7.5%増)、坂の上の雲ミュージアム15万6千人(37.1%増)など。 利用交通機関別では自家用車が325万3千人(17.8%増)と大幅に増えたのに対し、航空機64万5千人(9.6%減)、JR44万3千人(0.9%減)、観光貸し切りバス52万9千人(16.4%減)、船舶28万1千人(18.5%減)と、公共交通機関は軒並み苦戦。市観光産業振興課は「高速道路料金の割引が大きく影響した」と分析している。 観光客全体の推定消費額は606億6千万円(3.4%増)。
一方、外国人観光客は新型インフルエンザや円高の影響で、約2万8千人(24.4%減)と大きく落ち込んだ。 市内の宿泊施設の宿泊者は221万8千人(1.9%増)だったが、道後温泉の宿泊者は76万9千人(3.2%減)。日帰り客の増加傾向に加え、経済状況の悪化により、市中心部のホテルへの宿泊者が増えたことなどが要因とみている。中村時広市長は会見で「観光客の受け入れ体制をさらに構築し、松山の魅力やメッセージを伝えていきたい」と話した。(清家俊生)
【写真 松山市の観光客推定数(市調べ)グラフ】
10/05/27
「坂雲」来館 50万人突破 松山ドラマ効果
松山市が2007年4月、同市一番町3丁目にオープンさせた坂の上の雲ミュージアムの来館者が4日、50万人に達した。NHKスペシャルドラマ放送の影響もあり、10万人ごとの節目の来館者数としては最も早く、40万人目からはわずか4ヶ月半だった。
50万人目に認定されたのは、同日午前10時ごろ訪れた兵庫県宝塚市の会社員本屋敷功さん(49)。記念のくす玉を割った後、記念品と本人や家族が使える無料の永年パスポートを市などから受け取った。
出張で松山市を訪れたという本屋敷さんは「すごくうれしい。15年前まで一時、松山市に住んでいたので、その縁があったのかな。次回は家族と共に訪れたい」と笑顔を見せた。
ミュージアム事務所は人気の高まりについて「ドラマ放送に加え、休日の高速料金割引が大きく影響したのではないか」と分析している。(清家俊生)【愛媛新聞 2010年6月5日 土曜日 地方9面】
2010/6/6
「坂の上の雲」や俳句“体感”松山観光新コースづくり推進会議モニターツアー開く
愛媛新聞 2010年7月11日 魅力ある観光地・松山をつくろうと、「坂の上の雲」のまち松山観光まちづくり事業推進会議(冨岡保正会長)は10日、市民らを対象に、道後など市街地を巡る「松山はいく」のモニターツアーを実施した。
同組織は、観光客のニーズに合わせた「ガイド付きまちあるきプログラム」を提案し、さらなる松山の魅力を発掘しようと、坂の上の雲の登場人物に関する見どころや俳句を取り入れた観光コースづくりを推進。10月までの旅行商品化を目指してモニターツアーを開催した。
同日は老舗菓子店巡りや正岡子規ゆかりの地を訪ねるなどの4コースを設定し、市民ら約100人が参加。「ドラマの世界体感」をテーマにしたコースでは、スペシャルドラマ館を出発点に、ボランティアガイドとともに秋山兄弟生誕地などを散策。1895(明治28)年に完成した鉄道「松山電気軌道」と坂の上の雲の時代背景をリンクさせながら、当時の鉄道路線に沿ってまち歩きを楽しんだ。 同推進会議は「松山らしさ追求するため、ただ観光地を案内するのではなく、俳句や食に特化したコースづくりを目指す。今回の参加者の意見を取り入れ、さらに魅力あるプランに仕上げたい」としている。
「韓国併合」100年日韓知識人共同声明
今年韓国併合100年を迎えるにあたり、併合にいたる歴史過程や併合条約の評価について日韓共同の歴史認識を確認する声明が5月10日、
日韓それぞれ100人をこえる知識人の署名を集め、発表されました。(共 同声明の全文&署名者) テキスト版
共同声明はA4判3枚。併合条約等について〈韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である〉としています。
その説明として、共同声明は〈日本政府は、併合条約等は「対等の立場で、また自由意思で結ばれた」ものであり、締結時より効力を発生し、有効で
あったが、1948年の大韓民国成立時に無効になったと解釈した これに対し、韓国政府は、「過去日本の侵略主義の所産」の不義不当な条約は当初より不法
無効であると解釈したのである。/併合の歴史については今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはで
きない。併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and
voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである〉としています。
日本側発起人の一人、和田春樹さん(東京大学名誉教授)は、「昨年秋から日韓両国を相互訪問するなどして内容を話し合ってきました。日韓歴史共同 研究委員会(第1期)の日本側座長・三谷太一郎さんと、韓国側座長・趙東杰さんが署名した意義は大きい」と話しています。 2010/05/16
「韓国併合」100年日韓知識人共同声明 署名のお願い/歴史科学協議会
韓国併合100年日韓知識人共同声明 「朝日」「47」「赤旗」以外は無視
韓国併合100年:国会議員も共同声明発表に向け準備
知識人の共同声明発表、日本メディアは沈黙
日本による韓国併合から100年を迎えるのを前に、韓日両国の知識人たちが今月10日、「『韓国併合条約』は義に反する不当なものであり、当初から無効だった」と宣言する共同声明を発表したのに続き、今年8月には両国の国会議員たちが同様の趣旨の共同声明を発表する意向であることが、11日明らかになった。
共同声明の発表に向け、文言のすり合わせなどを行うため、野党・民主党の姜昌一(カン・チャンイル)、チャン・セファン両議員、自由先進党の朴宣映(パク・ソンヨン)議員らが今月25日に日本の国会を訪問し、共同声明の発表に賛同する日本の議員や市民団体の関係者らと会う予定だ。日本側からは、「戦後補償を考える議員連盟」の岡崎トミ子会長、今野東幹事長(共に民主党)らが賛同し、韓国側の議員らとの面会に臨むという。
韓日両国の国会議員らによる「和解に向けた行動」は、3段階に分けて進められるとみられる。まず、姜昌一議員らが先月5日に発議した、「韓日両国の過去の歴史の整理を求める決議案」が、今年上半期中に韓国の国会で議決される見通しだ。与野党の議員約70人が署名した決議案は、「旧植民地の国家や国民に対し、日本が謝罪・補償を行うとともに、1965年の韓日基本条約締結の際に補償の対象から除外された、慰安婦問題などについて再度交渉を行う」ことを盛り込んでいる。この決議案には、与党ハンナラ党の洪準杓(ホン・ジュンピョ)、黄祐呂(ファン・ウヨ)議員らも署名した。
次の段階として、韓国の国会議員の大部分と、日本の国会議員100人程度が、今年8月15日前後に両国で共同声明を発表することが想定される。共同声明は、▲100年前の日本による韓国併合が当初から無効だったということを確認し▲日本政府による正式な謝罪を求め▲未来志向的な韓日関係の定義付けを図る-という内容が盛り込まれるという。
そして最後の段階は、日本が過去の植民地支配を反省するという内容の決議案を国会で採択するよう求めるというものだが、日本の国会がこれを審議するかどうかは未知数だ。
日本側の反応は比較的冷淡だ。今月10日、韓日両国の知識人たちが共同声明を発表したのに対し、日本メディアはほとんど沈黙した。朝日新聞・東京新聞・北海道新聞の3紙が11日、特に論評することなく、事実を伝えるだけにとどまった。韓国併合100年を迎えるに当たり、昨年から『日本と朝鮮半島』と題した特集番組を放送してきたNHKをはじめとする各テレビ局も、共同声明の発表について特に報じなかった。
日本側で今回の共同声明発表を主導した東京大の和田春樹名誉教授も、11日の本紙による電話取材に対し、「国民の関心がないわけではないが、メディアが大きく扱うことはなかった。それぞれ事情があったと思うが、記者会見にも、韓国側からは30-40人が参加したのに対し、日本側からは13人しか参加しなかった」と語った。だが、和田教授は、「韓国併合100年を迎える8月、日本政府の談話が発表される可能性が高い。(韓国併合)条約が強要された不当なものであり、当初から無効なものだったという事実が政府の談話に盛り込まれれば、われわれの行動は実を結ぶことになる」と話した。
その上で和田教授は、「民主党政権は基本的に、韓日両国の歴史問題に対しては前向きな姿勢だ。(参議院議員選挙が行われる)7月までは、この問題にはあまり取り組めないと思うが、その後ムードが盛り上がれば、今年は特別な年だけに、具体的な行動が期待できると思う」との見方を示した。 東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員 鄭佑相(チョン・ウサン)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2010/05/15
今、「韓国併合」を問う~強制と暴力・植民地支配の原点~
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編集:「韓国併合」100年市民ネットワーク (発行:アジェンダ・プロジェクト) A5版
70頁 500円(税込)
目次:
①刊行にあたって/勝村誠
②韓国併合条約強制の実相/李泰鎭
③1905年の保護条約の違法性―その隠蔽の沼―/李泰鎭
④「韓国併合」-日本とアメリカ-100年前と今と-/中塚明
⑤1905年「韓国保護条約(?)」は捏造だったのか/戸塚悦朗
⑥あとがき/戸塚悦朗
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「坂の上の雲」のどこが問題なのか? ~史実の偽造を拡散させる
NHKの社会的責任
[講演会のお知らせ]
「坂の上の雲」のどこが問題なのか? ~史実の偽造を拡散させるNHKの社会的責任~
日時:2010年5月30日(日)PM1:30~3:30
場所:志津コミュニティセンター 2F 大会議室 (ユーカリが丘駅北口、モノレール公園駅下車 2 分)
講演者:醍醐 聰
資料代:300円
Ⅰ.史実を改ざん・黙殺した原作の誤りを公共の電波で拡散させるNHKの責任
(1)日清・日露戦争は日本にとって「受け身の」「祖国防衛戦争」だったのか?
(2)伊藤博文は開戦回避・朝鮮の独立に尽力した平和主義者だったのか?
(3)日本は国際法を守って日清・日露戦争をフェアに戦ったのか?
(4)正岡子規は日清・日露戦争の時代に明るい青春を謳歌したのか?「なき人の むくろを隠せ 春の花」(子規の従軍日記より)
Ⅱ.司馬遼太郎の遺志に背いて原作のドラマ化を推進したNHKの責任 (1)司馬遼太郎は原作のドラマ化を拒んでいた。
(2)後年、司馬の朝鮮観は大きく揺らいでいた。
講演会のお知らせPDF
講演者紹介
醍醐 聰
「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク呼びかけ人
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表
元東京大学大学院経済学研究科教授
(2010 年 3 月退職)
佐倉市宮ノ台在住 |
主催:『さくら・志津憲法9条をまもりたい会』 連絡先:(Tel&Fax)043-487-1350(中河)043-488-0537(前田)
*とくに連絡は不要です。ご自由に、ご参加ください。 2010/05/09
これ以前の記事はこちら
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2010/07/105.html
「韓国併合」100年 日本と南朝鮮知識人による共同声明(全文)
1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島を自らの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。
今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長期にわたる日本の侵略、数次にわたる日本軍の占領、王后の殺害と国王・政府要人への脅迫、そして朝鮮の人びとの抵抗の圧殺の結果実現されたものであることを明らかにしている。
近代日本国家は1875年江華島に軍艦を送り込み、砲台を攻撃、占領するなどの軍事作戦を行った。翌年、日本側は、特使を派遣し、不平等条約を押しつけ、開国させた。1894年朝鮮に大規模な農民の蜂起がおこり、清国軍が出兵すると、日本は大軍を派遣して、ソウルを制圧した。そして王宮を占領して、国王王后をとりことしたあとで、清国軍を攻撃し、日清戦争を開始した。
他方で朝鮮の農民軍を武力で鎮圧した。日清戦争の勝利で、日本は清国の勢力を朝鮮から一掃することに成功したが、三国干渉を受け、獲得した遼東半島を還付させられるにいたった。この結果、獲得した朝鮮での地位も失うと心配した日本は王后閔氏の殺害を実行し、国王に恐怖を与えんとした。国王高宗がロシア公使館に保護を求めるにいたり、日本はロシアとの協定によって、態勢を挽回することを余儀なくされた。
しかし、義和団事件とロシアの満州占領ののち、1903年には日本は韓国全土を自らの保護国とすることを認めるようにロシアに求めるにいたった。ロシアがこれを峻拒すると、日本は戦争を決意し、1904年戦時中立宣言をした大韓帝国に大軍を侵入させ、ソウルを占領した。その占領軍の圧力のもと、2月23日韓国保護国化の第一歩となる日韓定義書の調印を強制した。始まった日露戦争は日本の優勢勝ちに終わり、日本はポーツマス講和において、ロシアに朝鮮での自らの支配を認めさせた。伊藤博文はただちにソウルに乗り込み、日本軍の力を背景に、威嚇と懐柔をおりまぜながら、1905年11月18日、外交権を剥奪する第二次日韓協約を結ばせた。義兵運動が各地におこる中、皇帝高宗はこの協約が無効であるとの訴えを列国に送った。1907年ハーグ平和会議に密使を送ったことで、伊藤統監は高宗の責任を問い、ついに軍隊解散、高宗退位を実現させた。7月24日第三次日韓協約により日本は韓国内政の監督権をも掌握した。このような日本の支配の強化に対して、義兵運動が高まったが、日本は軍隊、憲兵、警察の力で弾圧し、1910年の韓国併合に進んだのである。
以上のとおり、韓国併合は、この国の皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された、文字通りの帝国主義の行為であり、不義不正の行為である。
日本国家の韓国併合の宣言は1910年8月22日の併合条約に基づいていると説明されている。この条約の前文には、日本と韓国の皇帝が日本と韓国の親密な関係を願い、相互の幸福と東洋の平和の永久確保のために、「韓国ヲ日本帝国二合併スルニ如カザル」、併合するのが最善だと確信して、本条約を結ぶにいたったと述べられている。そして第一条に、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且ツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」と記され、第2条に「日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ゲタル譲与ヲ受諾シ、且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス」と記されている。
ここにおいて、力によって民族の意志を踏みにじった併合の歴史的真実は、平等な両者の自発的な合意によって、韓国皇帝が日本に国権の譲与を申し出て、日本の天皇がそれを受け取って、韓国併合に同意したという神話によって覆い隠されている。前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる。
かくして韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である。
日本帝国がその侵略戦争のはてに敗北した1945年、朝鮮は植民地支配から解放された。解放された朝鮮半島の南側に生まれた大韓民国と日本は、1965年に国交を樹立した。その際結ばれた日韓基本条約の第二条において、1910年8月22日およびそれ以前に締結されたすべての条約および協約は already null and voidであると宣言された。しかし、この条項の解釈が日韓両政府間で分かれた。
日本政府は、併合条約等は「対等の立場で、また自由意思で結ばれた」ものであり、締結時より効力を発生し、有効であったが、1948年の大韓民国成立時に無効になったと解釈した。これに対し、韓国政府は、「過去日本の侵略主義の所産」の不義不当な条約は当初より不法無効であると解釈したのである。
併合の歴史について今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはできない。併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである。
現在にいたるまで、日本でも緩慢ながら、植民地支配に関する認識は前進してきた。新しい認識は、1990年代に入って、河野官房長官談話(1993年)、村山総理談話(1995年)、日韓共同宣言(1998年)、日朝平壌宣言(2002年)などにあらわれている。とくに1995年8月15日村山総理談話において、日本政府は「植民地支配」がもたらした「多大の損害と苦痛」に対して、「痛切な反省の意」「心からのおわびの気持ち」を表明した。
なお、村山首相は1995年10月13日衆議院予算委員会で「韓国併合条約」について「双方の立場が平等であったというふうには考えておりません」と答弁し、野坂官房長官も同日の記者会見で「日韓併合条約は…極めて強制的なものだった」と認めている。村山首相は11月14日、金泳三大統領への親書で、併合条約とこれに先立つ日韓協約について、「民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約であることは疑いをいれない」と強調した。
そこでつくられた基礎が、その後のさまざまな試練と検証をへて、今日日本政府が公式的に、併合と併合条約について判断を下し、日韓基本条約第二条の解釈を修正することを可能にしている。米国議会も、ハワイ併合の前提をなしたハワイ王国転覆の行為を100年目にあたる1993年に「不法な(illegal)行為」であったと認め、謝罪する決議を採択した。近年「人道に反する罪」や「植民地犯罪」に関する国際法学界でのさまざまな努力も進められている。いまや、日本でも新しい正義感の風を受けて、侵略と併合、植民地支配の歴史を根本的に反省する時が来ているのである。
韓国併合100年にあたり、われわれはこのような共通の歴史認識を有する。この共通の歴史認識に立って、日本と韓国の間にある、歴史に由来する多くの問題を問い直し、共同の努力によって解決していくことができるだろう。和解のためのプロセスが一層自覚的に進められなければならない。
共通の歴史認識をさらに強固なものにするために、過去100年以上にわたる日本と朝鮮半島との歴史的関係に関わる資料は、隠すことなく公開されねばならない。とりわけ、植民地支配の時期に記録文書の作成を独占していた日本政府当局は、歴史資料を積極的に収集し公開する義務を負っている。
罪の許しは乞わねばならず、許しは与えられねばならない。苦痛は癒され、損害は償われなければならない。関東大震災の際になされた朝鮮人住民の大量殺害をはじめとするすべての理不尽なる行為は振り返られなければならない。日本軍「慰安婦」問題はいまだ解決されたとはいえない状態にある。韓国政府が取り組みを開始した強制動員労働者・軍人軍属に対する慰労と医療支援の措置に、日本政府と企業、国民は積極的な努力で応えることが望まれる。
対立する問題は、過去を省察し、未来を見据えることで、先延ばしすることなく解決をはからねばならない。朝鮮半島の北側にあるもうひとつの国、朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化も、この併合100年という年に進められなければならない。
このようにすることによって、韓国と日本の間に、真の和解と友好に基づいた新しい100年を切り開くことができる。私たちは、この趣意を韓日両国の政府と国民に広く知らせ、これを厳粛に受け止めることを訴える。
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日本側署名者 *発起人
荒井献(東京大学名誉教授・聖書学)、荒井信一*(茨城大学名誉教授・日本の戦争責任資料センター共同代表)、井口和起*(京都府立大学名誉教授・日本史)、石坂浩一*(立教大学准教授・韓国社会論)、石田雄(東京大学名誉教授・政治学)、石山久男(歴史教育者協議会会員)、李順愛(早稲田大学講師・女性学)、出水薫(九州大学教授・韓国政治)、李成市*(早稲田大学教授・朝鮮史)、李鍾元*(立教大学教授・国際政治)、板垣雄三(東京大学名誉教授・イスラム学)、井筒和幸(映画監督)、井出孫六(作家)、伊藤成彦(中央大学名誉教授・社会思想)、井上勝生*(北海道大学名誉教授・日本史)、今津弘(元朝日新聞論説副主幹)、上杉聡(大阪市立大学教授)、上田正昭(京都大学名誉教授・日本史)、内田雅敏(弁護士)、内海愛子*(早稲田大学大学院客員教授・日本―アジア関係史)、大江健三郎(作家)、太田修*(同志社大学教授・朝鮮史)、岡本厚*(雑誌『世界』編集長)、沖浦和光(桃山学院大学名誉教授)、小田川興*(元朝日新聞編集委員)、糟谷憲一*(一橋大学教授・朝鮮史)、鹿野政直*(早稲田大学名誉教授・日本史)、加納実紀代(敬和学園大学教授・女性史)、川村湊(文芸評論家・法政大学教授)、姜尚中(東京大学教授・政治学)、姜徳相(滋賀県立大学名誉教授・朝鮮史)、木田献一(山梨英和学院大学院長・キリスト教学)、木畑洋一(成城大学教授・国際関係史)、君島和彦(ソウル大学教授・日本史)、金石範(作家)、金文子(歴史家)、小谷汪之(首都大学・東京教授・インド史)、小林知子(福岡教育大学准教授・在日朝鮮人史)、小森陽一*(東京大学教授・日本文学)、坂本義和*(東京大学名誉教授・国際政治)、笹川紀勝(明治大学教授・国際法)、佐高信(雑誌『週刊金曜日』発行人)、沢地久枝(ノンフィクション作家)、重藤都(東京日朝女性の集い世話人)、清水澄子(日朝国交正常化連絡会代表委員・元参議院議員)、東海林勤*(日本キリスト教団牧師)、進藤栄一(筑波大学名誉教授・東アジア共同体学会会長)、末本雛子(日朝友好促進京都婦人会議代表)、鈴木道彦(独協大学名誉教授・フランス文学)、鈴木伶子(平和を実現するキリスト者ネット代表)、関田寛雄(青山学院大学名誉教授・日本キリスト教団牧師)、徐京植(作家・東京経済大学教授)、高木健一(弁護士)、高崎宗司*(津田塾大学教授・日本史)、高橋哲哉(東京大学教授・哲学)、田中宏(一橋大学名誉教授・戦後補償問題)、俵義文(子どもと教科書全国ネット
21事務局長)、趙景達*(千葉大学教授・朝鮮史)、鶴見俊輔(哲学者)、外村大(東京大学准教授・朝鮮史)、仲尾宏(京都造形芸術大学客員教授)、中塚明*(奈良女子大名誉教授・日朝関係史)、中野聡(一橋大学教授・歴史学研究会事務局長)、中村政則*(一橋大学名誉教授・日本史)、中山弘正(明治学院大学名誉教授・経済学)、永久睦子(I女性会議・大阪会員)、成田龍一(日本女子大学教授・日本史)、朴一(大阪市立大学教授・経済学)、林雄介(明星大学教授・朝鮮史)、原寿雄(ジャーナリスト)、針生一郎(美術評論家)、樋口雄一(高麗博物館館長)、飛田雄一(神戸学生青年センター館長)、平川均(名古屋大学教授・経済学)、深水正勝(カトリック司祭)、藤沢房俊(東京経済大学教授・イタリア近代史)、藤永壮(大阪産業大学教授・朝鮮史)、福山真劫(フォーラム平和・人権・環境代表)、古田武(高麗野遊会実行委員会代表)、布袋敏博(早稲田大学教授・朝鮮文学)、前田憲二(映画監督・NPO法人ハヌルハウス代表理事)、松尾尊兊*(都大学名誉教授・日本史)、水野直樹*(京都大学人文科学研究所教授・朝鮮史)、三谷太一郎(政治学者)、南塚信吾(法政大学教授・世界史研究所所長)、宮崎勇(経済学者・元経済企画庁長官)、宮嶋博史*(成均館大学教授・朝鮮史)、宮田毬栄(文筆家)、宮地正人(東京大学名誉教授・日本史)、宮田節子*(歴史学者・元朝鮮史研究会会長)、文京洙(立命館大学教授・政治学)、百瀬宏(津田塾大学名誉教授・国際関係学)、山口啓二(歴史研究者・元日朝協会会長)、山崎朋子(女性史研究家)、山田昭次*(立教大学名誉教授・日本史)、山室英男*(元NHK解説委員長)、梁石日(作家)、油井大三郎(東京女子大学教授・アメリカ史)、吉岡達也(ピースボート共同代表)、吉沢文寿(新潟国際情報大学准教授・朝鮮史)、吉野誠(東海大学教授・朝鮮史)、吉松繁(王子北教会牧師)、吉見義明(中央大学教授・日本史)、李進煕(和光大学名誉教授・朝鮮史)、和田春樹*(東京大学名誉教授) 総105人
韓国側署名者 *発起人
姜萬吉*(高麗大名誉敎授,元尚志大総長・韓国史)、姜天錫*(朝鮮日報主筆)、高光憲*(ハンギョレ新聞社長)、高銀*(詩人)、權泰檍(ソウル大敎授・韓国史)、具正謨(江原大敎授・經濟学,東北亞大学敎授協議会会長)、金京熙*(知識産業社社長)、金基.(ソウル大敎授・敎育学)、金度亨(延世大敎授・韓国史)、金炳翼(文学&知性社常任顧問)、金成国(釜山大敎授・社会学)、金彦鎬(圖書出版ハンギル社代表)、金永一(光復会会長)、金泳鎬*(柳韓大総長)、金容九(翰林大翰林科学院敎授)、金容徳*(ソウル大名誉教授・光州科学技術院碩座教授・東洋史)、金容燮(延世大名誉敎授・韓国史)、金潤煥(高麗大名誉敎授・經濟学,韓国經濟学会名誉会長)、金鍾圭(韓国博物館協会会長,韓国文化財トラスト協会会長)、金芝河*(詩人)、金鎭炫*(元韓国經濟新聞会長,元ソウル市立大総長)、金昌祿*(慶北大敎授・国際法)、金泰永(慶熙大名誉敎授・韓国史)、金平祐(大韓辯護士協会会長)、金炫(ソウル辯護士協会会長)、金皓起(延世大敎授・社会学)、金和經(嶺南大敎授・韓国文学)、金薰(小説家)、金喜坤(安東大敎授・韓国史)、羅鍾一(友石大総長,元駐日大使)、南時旭*(世宗大碩座敎授,元文化日報社長)、盧明鎬(ソウル大敎授・韓国史)、盧泰敦(ソウル大敎授・韓国史)、都珍淳(昌原大敎授・韓国史)、朴孟浩(民音社会長)、朴明圭(ソウル大敎授・社会学)、朴秉濠(大韓民国学術院会員・法制史)、朴元淳*(希望制作所常任理事)、朴在勝(元大韓辯護士協会会長)、朴維徹(安重根義士百周年記念館建立委員会委員長)、裵仁俊*(東亞日報主筆)、白楽晴*(ソウル大名誉敎授・英文学)、白承憲(民主社会のための弁護士会会長)、白永瑞(延世大敎授・東洋史)、朴宇熙(世宗大総長,韓国經濟学会名誉会長)、朴仁奎(プレシアン社長)、徐仲錫(成均館大敎授・韓国史)、成大慶(成均館大名誉敎授・韓国史)、宋永丞(京鄕新聞社長)、宋虎根(ソウル大敎授・社会学)、申庚林(詩人)、申榮福(聖公会大碩座敎授・經濟学)、愼鏞廈*(梨花女子大碩座敎授・韓国史)、安秉祐(韓信大敎授・韓国史)、安秉旭(カトリック大敎授・韓国史)、安哲秀(KAIST(韓国科学技術院)碩座敎授)、梁民滸(東北亞平和センター運營委員長)、嚴昌玉(慶北大敎授・經濟学,国債報償記念事業会常任理事)、廉武雄(嶺南大名誉敎授・文学評論)、呉世榮(ソウル大名誉敎授,韓国詩人協会会長)、呉連鎬(Oh My News社長)、劉在天(尚志大総長)、尹炳.(仁荷大名誉敎授・韓国史)、尹炯斗(汎友社社長、韓国出版学会会長)、李根寬(ソウル大敎授・国際法)、李基相(外国語大敎授・韓国史)、李琦.(ソウル大名誉敎授・地理学)、李起雄(悅話堂社長、出版都市文化財団理事長)、李萬烈*(淑明女子大名誉敎授・韓国史)、李文烈(小説家)、李相燦(ソウル大敎授・韓国史)、李成茂(韓国学中央研究院名誉教授,元国史編纂委員会委員長)、李時載カトリック大敎授・社会学,環境運動聯合代表)、李御寧(梨花女子大碩座敎授,元文化部長官)、李元德(国民大敎授・国際政治学)、李長熙*(外国語大敎授・国制法,国際常設仲裁裁判所(PCA)裁判官)、李泰鎭*(ソウル大名誉敎授・韓国史)、李效再(梨花女子大名誉敎授・社会学)、李学永(韓国 YMCA全国聯盟事務総長)、林玉相(画家)、林賑澤(韓国民族藝術人総聯合副会長)、任喆淳(韓国日報主筆)、林.澤(成均館大敎授・韓国文学)、任軒永(民族問題研究所所長)、林玄鎭(ソウル大敎授・社会学)、張萬基(韓国人間開發研究院会長)、張寅成(ソウル大敎授・外交学)、張忠植(檀国大名誉総長)、鄭聖憲(DMZ生命平和東山理事長)、鄭在貞(ソウル市立大敎授・韓国史,東北亞歴史財團理事長)、鄭昌烈*(漢陽大名誉敎授・韓国史)、鄭泰寅(高麗大敎授・韓国史)、趙光(高麗大敎授・韓国史)、趙東杰(国民大名誉敎授・韓国史)、趙東成(ソウル大敎授・經營学)、趙東一(ソウル大名誉敎授・韓国文学)、曺ヒヨン(聖公会大敎授・社会学)、朱宗桓(東国大名誉敎授・經濟学,市民社会新聞論説顧問)、車河淳(西江大名誉敎授・西洋史、大韓民国学術院会員)、蔡雄錫(カトリック大敎授・韓国史)、崔元植*(仁荷大敎授・韓国文学)、崔章集(高麗大敎授・政治学)、韓敬九(ソウル大敎授・人類学)、韓相震(ソウル大名誉敎授,中国淸華大敎授・社会学)、韓水山(小説家)、韓勝憲(弁護士、元監査院長)、許南振(中央日報論説主幹)、許粹烈(忠南大敎授・農業經濟学)、黄晳暎(小説家)
総109人
お願い
以上の声明は、2010年5月10日、東京とソウルで記者会見をもって発表しました。日韓の発起人は、この声明に賛同して下さる方の署名をいただいて、署名者を双方500人づつ、あわせて1000人にすることを希望しています。その上で、本年7月に日韓両国政府に提出し、併合100年にさいしての日本総理談話を出すこと、日韓条約第2条の解釈の統一をはかることなどを要請するつもりです。
声明をお読みになって、ご賛同いただける方は、その旨を日本側発起人(文書中の*印)の誰かにご連絡になるか、下記の連絡先にご連絡下さい。
連絡先178-0061東京都練馬区大泉学園町7-6-5 和田春樹 電話ファクス03-3922-1219
メールアドレス fwjg0575@nifty.com 発起人一同
韓国併合100年日韓共同声明に賛同します
お名前肩書
ご住所
このページに書き込んで、そのままファクスで送って下さい。メールでも結構です。
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